ここで会ったが木曜日

木曜日は『木曜日の話』月曜日は『月曜日の辞書』

森猛 伊亮

森猛 伊亮
中学校卒業後、不動産屋や大工、果ては証券屋やボーイなど様々な経験をつみながら、デンジャラスかつクレイジーな生活を経て、2013年より独立。

詳しいプロフィールはこちら

ゆとりの話

f:id:kokomokumoritake:20190806101941j:plain

【この記事は約8分で読めます・約3500字】

 

 

 

本日八月十五日は終戦記念日である。

 

七十四年前の今日、日本は世界を敵に回した愚かな戦をし、敗戦した。

 

というのは、戦後四十年後に産まれた私が手前勝手に抱く思いである。

 

当時戦ったほとんどの日本人は、自分達の戦いがまさか愚かなアジア侵略だとは思わず、西側列強からのアジア解放だと信じて戦ったはずであり、その日本に原爆を落としたアメリカもまた、暴走するクレイジーな島国を制御する、という大義に基づいて行動を起こしたのだと思う。

 

世にある戦争の全てが正義対悪な訳は無く、正義に対するものは常に別の正義であり、自己の正しさを証明する戦いでもある。

 

戦争は勝った方が正義というのは全くもっての思い過ごしであり、勝ち負け問わず、やっているのは純然たる『人殺し』に他ならず、死んでいった人達にとっては正義もクソもない。

 

私達戦後世代に出来る事は、過去を恨んだり否定するのではなく、将来に向かい、ただただ不戦を誓う事しかないと私は信ずる。

 

常日頃からそんな事を心がけて生きていればひとかどの人格者となるのであろうが、私は大変バカなので、年に一度、今日の日くらいは人類の一員として不戦を誓い、また願いたいと思う。

 

 

 

しかし、改めて街を見回すと、この国はなんと豊かな国であろうか。

 

東京や大阪などのビル群を見る限り、そこが一面焼け野原だったなどとは想像も出来ぬほどであるし、私が四年前に越してきた広島など、そこがかつてヒロシマであったことが、まるで幻であったかの様に、街全体が今日も元気にカープを応援している。 

 

言うまでもなくこれは奇跡的な事だと思う。

 

1968年、日本の国内総生産GDPは西ドイツを抜き世界第二位になった。

 

その後、2009年に中国に抜かれてから、アメリカ、中国との差は開く一方であり、今や両国の半分以下であるが、それにしたって三位である。

 

もちろん、GDPが国の豊かさを全て示すとは思わんが、一つの指数である事は確かで、焼け野原となったこの国は、敗戦後わずか二十年余りで世界で二番目の金持ちの国になり、七十年以上たった今でも世界の成長と共に繁栄している事になる。

 

そして今、この国にはなんだってある。

 

後は余裕のあるものが、あるゆる理由からハンデキャッパーになった人達に、富を配分する仕組みさえ完璧に組み上がれば、ほとんど人類が理想とする国家が出来上がりそうな気もする。

 

 

 

しかしながら、この様な奇跡的な状況にあっても、私達日本人はあまり幸福を実感していないという。

 

こちらもGDPと同じでどこまで信憑性があるかは分からんが、国連が毎年行う『幸福度報告』によると、日本は156カ国中58位とその経済規模と比べて、圧倒的に幸福を実感していない。

 

この調査は、国連が各国の国民に『あなたは幸せですか?』とアンケートを取る方式で行われており、かなり主観的な調査である。

 

と、いう事は。

 

もちろん格差はあるものの、その物量においては世界有数の規模を誇り、本人が希望すれば最低限のセーフティーネットがあり、一部の痛ましい幼児虐待などを除いては、飢えて死ぬことなどほとんどないにも係わらず、この国の国民はあまり幸せだとは思っていないのである。

 

これは結構由々しき問題であると思う。

 

 

 

なぜこんな事になるのか。

 

もちろん原因は一つでは無いのであろうが、先の国連調査や各資料を読み解く限り、やはり一番の原因は昔から言われてきた通り、私達日本人には諸外国と比べて時間のゆとりが無い。

 

貧乏でも金持ちでもみんながいっぱい働くので、幸せを感じる時間が少ないそうだ。

 

なぜこんな事になったのか。

 

少し暴論になるかも知らんが、それはおそらくこの国が豊かになった経緯が関係する。

 

敗戦後、この国には何も無くなった。

 

私らの世代から見て祖父母やその上の世代の人達は、物が無い事に苦しみ、こんなにも苦しい時代はもうこりごりだと思った。

 

そして彼らは、こんなにも苦しい時代を子や孫には受け継がせる訳にはいかないと考えたが、この国には資源も何も無く、あるのは戦勝国への莫大な支払い義務だけであった。

 

絶望的である。

しかし彼らは全然諦めなかった。

 

全てが焼け野原に変わったちっぽけな島国を、彼らはまだ見ぬ子や孫がゆとりのある生活が出来る様、寝る間も惜しんで働く事により、この国を理想の国に作り変えた。

 

ここまでは良かった。

偉大なる先人がここまではやってくれた。

 

しかし、彼らがゆとりのある生活をさせてやりたいと願った子や孫は、その様にがむしゃらに働く親や祖父母の姿を見ているので、先人たちが思い描いた理想の国が、もうすでにほとんど出来ているにもかかわらず、寝る間も惜しんで働く。

 

これもまた、自分の子や孫にツライ思いをさせない為に。

 

永遠に続く無限ループである。

 

 

 

こうなってくると、もしかしたらこの無限ループから唯一抜け出す可能性があった、あの教育制度が無くなった事が非常に悔やまれる。

 

いわゆる『ゆとり教育』というやつである。

 

1987年生まれから2003年生まれが受けた、このゆとり教育は、無限ループを粉砕する可能性が少なからずあった。

 

大人になって働き始めてからでは間に合わんので、教育のうちからゆとりを持たせるというのは、素晴らしい試みであったと今改めて思う。

 

しかしあの試みは、なぜ無くなってしまったのであろうか。

 

国は色々な事を言って廃止にしたが、私は大きく分けて二つの理由からだと思う。

 

一つ目の理由は、言葉は悪いが上の世代のやっかみや心配であると思う。

 

『俺たちはあんなにやったのに、なんかゆっくりしててズルイ』というのと『俺たちはあんなにやったのに、そんだけしかやらずに大丈夫か?』と、周りの大人が思ったのだと思う。

 

そしてもう一つが、その杞憂が的中してしまったことである。

 

確かにゆとり世代が社会に出た時、そのほとんどがバカであった。

本当にバカであった。

 

だがしかし、私が社会に出た時はその三倍くらいバカであった。

 

要するに、社会に出てすぐの頃は、みんな総じてそのほとんどがバカなのである。

 

ゆとりをバカにする上司はその昔、バブル世代というバカであり、それをバカにするそのまた上司は新人類という名のバカであった。

 

しかしそれは、本当にバカな訳では無く、社会経験が乏しいだけに過ぎない。

 

たまたま彼らの世代が、『ゆとり世代』などというキャッチャーなネーミングをつけられたせいで『こいつらはバカなんだ』というイメージがあるに過ぎない。

 

私は1985年生まれなので、ギリギリゆとり世代ではないが、最終学歴は中学校卒業であり、その中学すらもあまり登校していない、言うなれば、『超ゆとり教育』である。

 

別に特別な理由も無く、遊ぶのと仕事で忙しい、という至極単純な理由から学校へ行かなかった。

 

しかしながら、たった二つ年齢が違うだけで『やっぱりゆとり世代とは違いますなぁ』とか言われたこともある。

 

超ゆとりにも関わらず。

 

ただのイメージである。

 

 

 

この『ゆとり世代』、ただ今世界で活躍中である。

 

野球ではダルビッシュや田中のマー君。

サッカーでは香川やケイスケホンダ。

テニスの錦織君やスケートの真央ちゃん、全英を勝ったゴルフの渋野ちゃんだってゆとり世代である。

 

 

経済界や学問の世界で成功者と呼ばれる様になる為には、ある程度の年齢にならないと結論が出ないが、比較的若い内に結果が出るスポーツの世界において、少なくともゆとり教育は間違ってなかったのである。

 

彼らが今後、年齢を重ねるごとに色んな分野で活躍して、もし『ゆとり教育は間違っていなかった』となったその時は、偉くなったゆとり世代のその手で、あの教育制度を復活させて欲しいと思う。

 

消費税や社会保険料が上がろうが、私は休まず働いても良いが、私達の子や孫世代には、ゆとりある幸せが甘受できる世の中になっていて欲しいと願う。

 

 

 

人間、ゆとりがないと争いが起こる。

 

争いを起こさず、ゆとりある幸せを甘受する。

 

それがこの国を再興した先人達への恩返しであると、私は思う。

 

大事な人に一生懸命に作ったものを、受け取ってもらえないほど悲しい事は無いと思うからである。

 

しかし、それを実現するのは私を含めた私達以前の世代には難しい。

 

子供の頃からそうとは教わらずに育ってきたからである。

 

もしもそれが実現するとすれば、少なくとも子供の頃にゆとりがあることは良い事だと教わった世代の彼等が、様々な困難を越えて偉くなった後に作る『真のゆとり教育』が、その先へ続いてゆく世代に施されてからだと思う。

 

この国が本当に豊かになる為に、『ゆとり世代』という世代は、未来にとって希望の世代であると私は思う。

 

 

そんな争いが終わった日の話。