よく分からないコラムやエッセイを書いたり変な辞書を作成しているのは、世を忍ぶ仮の姿であり、私の本職は販売業である。
初めて物を販売したのは十六歳の時で、取り扱った物は、とある住宅メーカーが建てた建売住宅であった。
それ以降2013年に独立するまでの間、色々な会社で、証券、土地、ウインナー、バッグ、キャベツ等々、ここには書ききれない程様々な物を販売した。
少なくとも文章を書くよりは、物を売る方が上手に出来る様で、その時々に所属する会社から何かしらの表彰状的なものを頂いたりもした。
こう書くと、何となく『請負人』的な感じがしてカッコ良く感じられるが、実際のところは単にこらえ性が無く、協調性はもっと無かったので、色んな職場を転々とした挙句にほとんどヤケクソで独立して会社を設立した。
設立した会社は、各メーカーさんから販売して欲しいと依頼されたものを百貨店などの小売店で販売する会社であり、私は今日もどこかの現場で何かを販売している。
依頼主であるメーカーさんは千差万別であるので、人形を売った翌日に冷蔵庫を売ったりもするし、最近ではモノだけではなく、掃除やネイルなどのサービス、いわゆる『コト』までも販売対象となっている。
一体何刀流であろうか。
まるで、販売界の大谷翔平である。
ごめん言い過ぎた。
だが、小谷小平くらいではあると思う。
この様に二十年近く販売生活を送り続けていると、お客さんから時々次の様な事を言われたりする。
『兄ちゃんから買いたい』
大変嬉しいお言葉である。
営業、販売職につかれている方は若い時分に一度位は上司などから言われたであろう『自分を売ってから商品を売る』というやつの具現化である。
だがその一方で、私はこの言葉、あるいはこれに類する言葉を言われた時は、大変ありがたいお言葉だと思うと同時に『また二流の売り方をやらかしたな』とか思い、大変反省をする。
めちゃくちゃ反省する。
その理由は大きく分けて三つ。
まず一つ目の理由は、お客さんが商品の性質を理解せずに購入している可能性があるということ。
物を販売するということは、お客さんに必要な物を必要な分だけ販売し、満足して頂かなければならないという責任が伴う。
そしてその責任を果たすには、お客さん自身に何がどれくらい必要かを理解して頂く必要がある。
その為に私達物を販売する人間は、商品の性質、メリットやデメリットをしっかりお伝えし、必要性と対価をお客さん自身に秤に掛けてもらい、納得の上で購入して頂かないとならない。
しかし『兄ちゃんから買う』という事は、平たく言うと『良きに計らえ』ということである。
もちろん、こういった時は全力で『良きに計らう』のだが、所詮は他人、私とお客さんは全然違う人間なので、どうしたって必要だと感じる物にズレが生じている場合がある。
たとえば、私には日用品等を大量に買い置きをする癖がある。
極度の面倒くさがり屋で何度も買い物に出掛けるのが億劫なのと、ストックが無いと何となく不安になるので、大量に買い込む事になる。
なので、日用品等を販売する際『三つ買うと安くなる』みたいなキャンペーン等をしていたりすると、もちろん三つおすすめすると思う。
しかしそれは私の価値観であり、お客さんの中には家に物が溢れるのが嫌で、多少割高でも無くなる度に買いたい人もいて、その場合にはかえって迷惑な販売となってしまう。
お客さんに不利益が起きる販売は間違い無く最低であるので、これは良くない。
一つ目の理由はお客さんに不利益が発生する為であるが、二つ目の理由は逆。
物を作っているメーカーさん側にも不利益が生ずる可能性がある。
『兄ちゃんから買う』という事は、裏を返せば兄ちゃんがいないと買わんという事になり、いわゆる『属人化』という状態にあるのでこれは言うまでもなく良くない。
しかし、もっと良くないのはお客さんが『良きに計らえ』で買った商品が思っていたものと違った場合である。
商品の性質、メリット・デメリットを理解せずに購入した場合、メリットが思っていた以上であれば問題ないが、デメリットが想像を上回った場合、そのメーカー全体のイメージ低下に繋がる。
掃除機を販売して吸引力が思ったより強い分には問題無いが、電気代が思ったより高かったりすると、そのメーカーの商品全てが『電気代が高い』というイメージになってしまい、他の商品が売れなくなってしまう恐れがある。
所属する会社、あるいは販売を依頼された会社に不利益が起きるのはもちろん悪い事なので、やっぱり良くない。
そして、三つ目の理由が今回のメインテーマ『サイレントスルー』が発生しているかも知れないからである。
これはとても怖い。
上記二つの理由が良くないのは、お客さんやメーカーさんの不利益に繋がるからであるが、この『サイレントスルー』は、その両者にとって不利益が出て、尚且つ私自身にも甚大な不利益が生ずる。
登場人物みんな損。
誰も得しない話である。
そもそも、この『サイレントスルー』という言葉は私が勝手に作った言葉なので、どういった状態の事を指すのか、少々説明をする。
過日、昼食をとろうと飲食店に入った。
結構な繁盛店であるらしく、ちょうど昼食時だった事もあり店内は混雑していたがタイミング良く席が空いたのですぐに座った。
私は入店前から注文するものが決まっていたので『すみませーん』と近くにいた店員を呼んだ。
すると、その店員はこちらを見て目が合った。
だが、次の瞬間。
この店員は目を逸らして違う作業をし始めた。
私は、ん?と思ったが、もしかしたら何かの間違いか、実は気づいてないのかと思い、もう一度『すみませーん』と言うと、その店員はこちらを見た。
そして、、、
又目を逸らして違う作業をし始めた。
絶対に気づいている。
私も飲食店でホールのバイトをした経験があるので、ランチタイムのホールがてんてこ舞いになる事は十分理解している。
しかし。
しかしである。
そんな状態でも『少々お待ち下さい』とか『ちょっと待ってね』とかは言えるはずで、何も無視しなくとも良いでは無いか。
そして、三度目の『すみませーん』と言った時、その店員は『ちょっと待って下さい!』と物凄く不機嫌そうに、強い口調で言ってきた。
こんな時、私のキャラクター的には『なんでお前に怒られなあかんねんボケェェェ!』と相手を罵ったり、必殺の串刺し式ラリアットでもかましたのではと思われるやも知れんが、実は全然そんな事はしない。
ボケェ!にしてもラリアットにしても、お互いの信頼関係があって、更に打ち手の加減、受け手の受け身技術があって初めて成立するいわば『ツッコミ』であり、相手に改善を求める場合の手段である。
全然知らない人にやれば只の変態であるし、そもそもその店員に改善を求める必要も無い。
ではこの時の私はどうしたかと言うと、違う店員さんに『急用が出来たので又来ます』と言い残し、違う飲食店へ行った。
これが『サイレントスルー』である。
人は自分の利害に関係無いと判断し、更に嫌いと思ったものには文句の一つも言わずにそっと距離を置くのである。
話を戻そう。
『兄ちゃんから買う』と言う事は『兄ちゃん』に好感を持って物を買っている状態であり、上記の通り、物の性質を理解せずに購入している可能性がある。
これはヤバイ。
『好き』と思う人がいれば、必ず『嫌い』と思う人がいるはずだからである。
みんなが大好きだと思っているカレーだって、香辛料が苦手で嫌いな人だっている。
商品の内容を把握して、その商品が『嫌い』で買わない場合はその商品のせいであるし、お客さんに聞けば何が『嫌い』な原因か把握出来るが、そこに行き着くまでの過程の中で私の事が『嫌い』な場合は、何にも言わずに売り場からいなくなっているのである。
物凄く怖い。
だーれも得しない最悪の状態である。
人は自分の事を好きな理由は周りにいる人間に聞けばわかるが、嫌われている理由はわからんのである。
嫌っている人間は既に自分の周りから離れているので当然である。
という訳で、私が『兄ちゃんから買いたい』と言われるのに怯える訳はこの三つの理由からであるが、ただの被害妄想の可能性も十二分にある。と、願うばかりである。
しかし、この恐ろしきサイレントスルー。
実はと言うか当然と言うべきか、販売や営業の場面だけでは無く、色々な所に蔓延しているのをよく見かける。
結構多いのは若手社員が定着しない企業。
会社に残っている人間は、少なくとも不満よりも会社にいる利益が上回るからそこにいる訳で、会社の『嫌い』な部分は少ししか言わず『好き』な部分は大いに語る。本心だろうし、当然である。
そうすると、会社の経営陣は『ウチの会社はええ会社なんだ!』と思う。当然である。
しかし、辞めてゆく人間達はまさか『バーカ!給料安すぎだよバーカ!』とか『あの部長、アッタマおかしいんじゃねーの!?バーカ!』とは絶対言わず『家庭の事情』とかでひっそりと辞めていく。
会社側も『家庭の事情』であるというのは、何となく嘘だと感じはするのだが、正確な理由が把握出来ないので『こんなに良い会社辞めるなんてかわいそうなヤツめ』となり全然改善されないので、また今年も新卒が辞めてゆくのである。
サイレントスルーが生む悲劇である。
毎日の様に来る常連さんがいてもサッパリ売上げの上がらぬ居酒屋や、物静かな妻に定年と同時に離婚届を突き出されるオヤジ。
みんなサイレントスルーの犠牲者である。
皆何が悪いか把握出来ていない。
何故売れたかを発表する会議が盛り上がり、何故売れないのかの会議がグダグダになる理由はこれである。
さて、この恐ろしきサイレントスルー。
残念ながら劇的に無くなる対処法は皆無である。
スルーした人を見つけて理由を聞き出し改善するのが手っ取り早いが、いかんせんサイレントでいなくなるので大変難しい。
結局は、スルーする人をそもそも諦めるか『嫌い』と思われそうな所を客観的に探し続けて、改善し続ける地道な作業しかない。
終わりなき大変な作業であるが、やり続けなければある日突然困る事になる。
と、いう事で。
家内にサイレントスルーされぬよう、私はこれから靴下を表に向けて洗濯機に入れようと思う。
そんな、破滅に至る病の話。