誠に意外な事実ではあるが、私は今まで一度も死んだ事が無い。
幼少期から振り返って、このクレイジーかつファンタスティックな生き方のせいで、どう控えめに勘定したって、少なくとも四度は死にかけている。
平たく言えば自業自得、あるいは、てめぇで蒔いた種と言うやつである。
しかし、その度に持ち前の強運の結果、あるいは死にかける程の不運な結果に、不憫に思った神様的な何かが助け船を出してくれるのか、突然救世主が現れたり、最上級の不幸中の幸いが起きたりして調子良く助かる。
中学生の頃には、なんの根拠も無く尾崎と同じ二十六歳で死ぬもんだと勝手に思い込んでいたが、三十三歳となった今、なかなかどうして死ぬどころか結構パワフルに、かつ穏やかに生きている。
さて、私は現在仕事、家庭共にお陰様で大変恵まれた環境に置かれており、とても穏やかな生活を送っている。
あんまり穏やか過ぎて、人相がお地蔵さんの様になる程である。
しかし、二十五歳位までの約四半世紀は前述の通り、生きているのが不思議なくらい結構デンジャラスな生活を送っていた。
ある時は、普通に夜道を歩いていると目の前に車が止まり、中から出てきた三人組の男達に突如として拉致された。
拉致された相手は、当時所属していた会社の社長が振出した喧嘩手形を掴んだやつであった。
十七歳の夏の出来事である。
またある時は、家に帰ったら切り裂かれたスーツが床に散乱しており、女が『あんた殺してウチも死ぬ』と包丁を握りしめていた。
デンジャラスな生活を送っていると、付き合う人間もデンジャラスなやつが寄ってくるのである。
因みに、当時の私は連続窃盗団の下っ端の様な人相をしていた。
とまぁ、この様なクレイジー体験を書き出すと枚挙に暇がないのだが、文字通り命がけで生活していると毎日がおっかなびっくりの連続なので、多少のことでは驚かなくなる。
例えば、先日愛犬おもち君の散歩をしていたら、視界が悪い交差点から一時停止の標識を無視した原付バイクが突然飛び出してきた。
おもち君は、のほほんとして能天気に電柱の匂いを嗅いだりしていたが、私は轢かれるまで数センチであった。
というか、腕にミラーが当たった。
しかし私はこういう時、びっくりせずにうんざりとする。
運転手はバイクから降りてきてとても謝ってきたが、私はそんな事より早く帰ってハリーの『喝っ!』が見たいのである。
で、家に帰って家内がおもち君の足を洗っている間にテレビを点け『そこはあっぱれやろ』とか言ってるうちに、先程の事を思い出してゾッとしたりする。
要するに、驚く事にとても鈍感になっているのである。
しかし過日、そんなビックリ不感症である私でさえ、物凄ぇビックリした出来事があった。
心臓が飛び出すほどビックリするとは、正にあの様な事だと思う。
マジでビックリした。
私は仕事の都合上、旅芸人の如く出張を繰り返すのでほとんど家には帰らない。
年間三百日近くは家に帰らない。
北は北海道、南は沖縄まで全国津々浦々の町で仕事をするのだが、私は猿岩石では無いので、もちろん野宿はせずに各地のビジネスホテルを転々とする事になる。
今時のビジネスホテルは、私の様なビジネスパーソンの要望に応えるべく、かなりの進化を遂げている。
クリーニングの即日仕上げ、コインランドリー完備は当たり前、中には靴磨きまでやってくれるホテルまで存在する。
Wi-Fi環境の充実や、細かいところでいうと、スマホが充電出来る様に枕元にコンセントがあったりする。
無論、宿泊するのは私のようなオッさんだけでは無いので、女性客が安心して泊まれる様に、セキュリティもバッチリである。
オートロック・防犯カメラは当然の様に有り、ホテルによってはカードキーが無いとエレベーターすら動かない仕様になっていたりする。
誠にありがたい話である。
私のような暮らしをしている者にとって、快適に毎日の生活を送れているのは、各ビジネスホテル運営会社さんの企業努力のお陰と言っても過言ではない。
大のお気に入りである『東○イン』なんぞに至っては、何かの間違いで私が偉くなった折には、栄誉賞的な何かを送りたいと、常々思うほど感謝している。
とはいえ、この様な進化を遂げているホテルは、大手ビジネスホテルチェーン、あるいは最近オープンしたホテルがほとんどである。
地方においては、進化に取り残された従前変わらぬ伝統的なビジネスホテルもまだまだ多く存在する。
Wi-Fiどころか電話の電波すら受信が怪しかったり、クリーニングを頼もうとしても、出来上がりが三日後です。とか言われて、三日後にはもうチェックアウトしてるやん。となる場合も多々ある。
全然話には関係無いが、そういうホテルは、何故かは知らんが廊下の絨毯が赤い。
しかし、実はそういった不便なホテルに宿泊する事は私の密かな楽しみである。
しっかりテキパキ受け答えするチェーンホテルの接客ももちろん良いが、なんとなくフワッとした受け答えをするこういうホテルのフロントに、仕事の疲れを癒される感じがするからである。
そして、私を驚愕させる事件はこういったゆるーい感じのホテルで起きた。
事件の前日、スケジュール管理の甘さから仕事を固めて入れてしまい、地獄のロード十五連勤の真っ最中であった。
終電で東京から四国のとある地方に辿り着いた私はフラフラであった。
駅を降りてコンビニで買い物をしてからホテルに到着した頃には日付を跨いでいた。
私は眠たかったが、多分フロントの兄ちゃんはもっと眠たかった。
というか、多分私が到着するまで寝ていたらしく、目を赤くしてむにゃむにゃと一生懸命出迎えてくれた。
なんだかほっこりした。
この日までの十一連勤に加えて長時間移動、更に深夜の到着と疲れる要素満載であったが、その日中に作成しなければならない書類があり、最後の力を振り絞って作成し終わり、床についたのは三時を過ぎていた。
事件当日、六時半起きの私は更にフラフラであった。
しかし、まさか仕事に穴を開ける訳にはいかんので、這う様に仕事場に行った。
後四日で地獄のロードが終わるという希望だけでその日は乗り切った。
というか、その日の仕事は良う出来た。
私はなぜか昔からフラフラになる程仕事が捗る。
とはいえ、眠さの限界にいた私は、仕事帰りに軽く食事をして真っ直ぐホテルに帰り、部屋に入って直ぐにシャワーを浴びた。
その後、翌日の仕事の準備を終え、野球でも見るかとベッドに横たわったのだが、テレビのリモコンを取るまでも無く10分もせぬ内に気絶する様に眠りこけた。
時刻は夜の九時前である。
そしてその五時間後、午前二時頃に事件は起きた。
私は目が覚めた。
明かりは点けていなかったがカーテンを開けっ放しにしていた為、ほんのりと月明かりが射し込んでいた。
時計を見ると午前二時である。
眠ってしまった記憶は無いが、早く寝過ぎて途中で起きてしまったかと、なんとなく損した気分になった。
しかし、何か違和感がある。
まぁ疲れてるし、変な時間に起きたし、身体が悲鳴あげてるのかなと思った。
違う。
全然違う。
明らかに右足に違和感がある。
私は自分の右足を見た。
すると、、、
知らないおじさんが、、、
武蔵丸そっくりのおじさんが、私の右足を撫でていた。
ビックリした。
無茶苦茶ビックリした。
皆さん。想像して欲しい。
夜中起きたら武蔵丸が足を撫でているのである。
怖い。
物凄く怖い。
ほとんどホラーである。
私が貴乃花であれば、右四つからの上手投げでブン投げるところだが、あいにく私は貴乃花ではなく、相撲をした経験すらないので、自分でもビックリする位大きな声で『ギャアーーーーー』と悲鳴を上げた。
腹の底から声を出すとは、多分ああいう事だと思う。
すると、武蔵丸は意外な行動に出た、、、
何も言わずにこちらを見つめている。
怖い。
怖すぎる。
張り手でもかまされるのかと思った。
時間にして数十秒、いや一、二分だったかも知れない。
その間私と武蔵丸は見つめ合っていた。
そして、目を逸らさないまんま、中腰の武蔵丸は後ずさりで部屋を出て行った。
出て行った瞬間に私は急いで鍵を掛けて財布を確認したが、別に何も取られてなかった。
その後直ぐにフロントに電話して部屋に来てもらったが、そのホテルには防犯カメラも設置されていないということで、どこの誰だかはさっぱりわからずであった。
取られたものも無く、おじさんがおじさんに足を撫でられた、と説明するのもアホらしいので警察にも通報しなかった。
今考えるとあのおじさんは、起きるかどうか確認をして、起きなかったら盗みを働こうとしていたのかな、とか考えるが、真相は闇の中である。
あの一件以来、ホテルに入るとまずオートロックかどうかを確認する様になった。
しかし久々にビックリした。
人間やっぱり穏やかに暮らすに限る。
当稿をお読みの方でオートロックに慣れてしまっている出張族の方は、十分お気を付けを。
後、子供をお持ちの方は面倒くさがらずにお子さんを町内会のわんぱく相撲へ。
そんな、防犯の話。