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森猛 伊亮

森猛 伊亮
中学校卒業後、不動産屋や大工、果ては証券屋やボーイなど様々な経験をつみながら、デンジャラスかつクレイジーな生活を経て、2013年より独立。

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再見の話【後編】

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このマンションに住む留学生達は皆私と仲良くしてくれたのだが、その中でも特別仲が良かったのが件の王(おう)さんに加え、燕(エン)ちゃんという女の子であった。

 

燕ちゃんは中国北部の出身で、物凄く真面目な女の子であった。

 

穏やかな笑顔が地顔の王さんや、いつもへらへら笑っている私とは違い、燕ちゃんはほとんどいつも難しい顔をしていた。

 

いわゆるツンデレというやつの強力バージョンで、ほとんどいつもツンであり、たまぁに申し訳程度にデレになる。

 

メガネを取って化粧をすると驚くほど美しい顔立ちをしているのだが、本人には全くその自覚が無いので、極度の近視の彼女はいつも分厚いメガネをかけ、ほとんどすっぴんであった。

 

のんびり屋さんの王さんと、せっかちな私と燕ちゃん。

 

真面目な燕ちゃんと、すぐにふざける私と王さん。

 

中卒で日本人の私と、中国の大学を出て更には日本語を学びに日本までやってきた中国人の王さんと燕ちゃん。

 

よく分からない組み合わせの三人は、結構な時間を共にした。

 

この頃の私は折しもの好景気の為、急にお金持ちになっていたのだが、お金の使い方がよくわかっておらず、連日連夜会社の後輩等を連れて夜の街に繰り出していた。

 

その為会社から真っ直ぐ家に帰るのは週に二、三日程度であったが、そういう日はだいたい王さんか燕ちゃんが私の部屋のインターホンを鳴らし、鳴らない日は私がどちらかの部屋へ鳴らしに行った。

 

三人が揃って家にいる日は三人で食事をし、一人欠けた時は残った二人で食事をし、休みが合う日などはいつも三人で遊園地や水族館に出かけたりもした。

 

ほとんど兄弟の様であった。

 

食事をする際、近くのお店で外食をするか、燕ちゃんの手料理を食べるかは燕ちゃんが決める。

男二人の時は外食であった。

 

私達は何が楽しいのか、毎回夜中まで酒を飲みはしゃいだ。

というか、私と王さんがはしゃぎ、燕ちゃんが見守っていた。

 

なぜ私達がここまで仲良くなったか考えると、それはもちろんそれぞれ気が合ったのもあるが、それ以外にも大きく二つの理由があったと思う。

 

まず一つ目は言語である。

 

中国人二人と日本人一人のコミュニケーションは、ほとんどがカタコトの日本語で行われる。

 

二人は事あるごとに中国語を私に教えてくれようとしたが、私は花の中卒であり、中学までだって授業中はほとんどお昼寝をしていたので、語学力など英語はもちろん国語ですらあやしい。

 

そんな私に、極めて複雑な中国語など覚られるはずもなく、覚えた単語は三つだけであった。

 

『你好』(ニィハォ)こんにちは

『我愛你』(オゥアイニィ)愛している

『再見』(ツァイツェン)さようなら

 

燕ちゃんにゾッコンの王さんは、隙あらば『我愛你』を連発していたが、王さんに全然興味の無い燕ちゃんは、それをいつも冷たくあしらった。

 

余談になるが、私はこの数年後に中国で迷子になったのだが、この三つを連発し、なんとか乗り切った。

挨拶と愛があれば、人間どうにでもなるのである。

 

中国語を解せぬ私の存在に加え、中国の北部出身の燕ちゃんと、南部出身の王さんでは結構言葉が違うらしい。

 

日本でいうところの、津軽弁と沖縄方言で話すみたいなものだと思う。

 

なので、三人はいつもカタコトの日本語で話す事になる。

 

二人と話しているとなぜか分からんが、私までカタコトになるので、突然電話があったりすると、日本人に対してもうっかり変な日本語で対応してしまったりする。

 

清少納言は、最近の若いものは言葉使いがおかしいと嘆いたらしいし、それから千年以上たった今も同じことをみんなが言う。

 

しかし、ことコミュニケーションに関してだけで言うと、少しくらいおかしな方が何とか相手の意思を汲み取ろう、理解しよう、と必死に努力するので、実は打ち解けやすいのではなかろうかと思う。

 

 

二つ目は、相手への尊敬である。

 

二人がどう思っていたかは判らんが、少なくとも私はこの二人の中国人を心底尊敬していた。

 

まず花の中卒である私は、高卒以上の人を無条件に尊敬する節がある。

 

大卒の人などは、天上人だと思っているし、大学院卒の人などはほとんど神様と見分けがつかない位尊敬する。

 

彼らは自国の大学を出ただけでなく、海外に語学まで学びに行く程の人達である。

それだけで、十分に尊敬に値する。

 

それに加えて、彼らは日本でバイトをし、日本で部屋を借り、普通に生活をしている。

 

これは凄い。

底抜けに凄い。

 

私が逆に中国でバイトせぃと言われても絶対に無理である。

ましてや、自分の寝床を確保する為に、複雑な不動産の契約を中国でして来いなどと言われたら多分泣いてしまうと思う。

 

そんなことを普通にしていた彼らは、とても凄い人達だといつも思っていた。

 

相手を尊敬し、必死に理解しようとする。

そりゃあ仲良くなるはずである。

 

仲の良い私達は当然色々な事を語り合ったが、若かった私達の話題の中心は、将来の夢や目標である事が多かった。

 

王さんの目標は、日本で働き、日本で暮らす事であった。

 

王さんが言うには、中国には十億の人間が住んおり、皆が必死で競争しているのでとても騒がしくて住みにくいらしい。

 

一方、日本には一億人しか人がおらず、皆があまり競争する事なく穏やかに暮らしているはずなので、これからは安息の地日本でのんびり生活をしたいとの事であった。

 

面積やら何やかんやの概念を超越したスーパー理論であるが、何となく王さんらしい目標であった。

 

対して燕ちゃんの目標は、王さんのスーパー理論と比べて、物凄ぇ真面目な目標であった。

 

彼女は、中国共産党の情報統制に思うところがあるらしく、日本に駐在するガイドさんなどになって、日本に来た中国人に真実を広めたいとの事であった。

 

将来の夢は『楽して稼ぎたい』であった当時の私にはあんまり意味は分からんかったが、こちらも何となく燕ちゃんらしい真面目な目標であった。

 

 

 

それぞれの夢を語り、泣き笑いして暮らした私達に一年程の時が流れた。

 

王さん達の通う学校は二年で卒業となるので、卒業まで半年を切ったこの頃は、それぞれの進路が決まり出す時期であった。

 

まず先に、王さんの就職先が決まった。

京都にあるホテルのフロントマンであった。

 

全然のんびりは出来ないだろうが、温和な性格で、優しい笑顔の王さんにはぴったりな仕事だと思った。

 

その後すぐに燕ちゃんの就職先も決まった。

旅行会社のガイドさんである。

本人の希望通りの満点の就職先であった。

 

はずであった。

 

 

 

二人の就職先が決まった後、就職祝いだなんだと理由をつけて、三人は以前より共に過ごす時間が増えた。

 

多分それぞれが、もうすぐ終わる楽しい時間が名残惜しかったのだと思う。

 

そして、卒業まで三カ月を切った頃。

何やら燕ちゃんの様子が少し変わってきた。

 

元々、あまり笑ったりするタイプの人では無かったが、目に見えて日に日に表情が陰っていった。

 

卒業を控え、少しセンチになっているのかと思ったが、そうでは無かった。

 

家族が中国に帰ってこいと言っているらしい。

 

いつも毅然としていて強そうに見える彼女であったが、本来はとても淋しがり屋の女の子である。

でなければ、恋愛感情も無いお気楽男二人に夜な夜な飯を作ったりはしないであろう。

 

もちろん故郷の家族は、彼女のその辺りの性格を理解していたはずなので、当然の提案である。

 

彼女はとても迷った。

 

自分のやりたい事を見つけ、それを実現する為に、はるばる日本まで来て二年間努力した。

 

しかし、正直故郷が恋しいと。

 

私は、彼女の性格を理解していたし、彼女が頻繁にテレビ電話で家族と話す姿を見ていたので、帰国する事を勧めた。

 

だが、そんな燕ちゃんに恋をしていた王さんは、必死で日本に残る事を勧めた。

 

家族と夢。

 

どちらも大切で、本来は天秤にかけるものでは無い。

 

しかし、状況を考えれば複雑な迷いである。

 

その後、卒業の一カ月前まで、私達は何度も何度も話をした。

 

 

 

そして燕ちゃんは決断した。

 

中国へ戻る事を。

 

決断した夜、それぞれが泣いた。

 

 

 

次の日から、燕ちゃんは忙しかった。

内定辞退の連絡や、マンションの退去手続きなど、やることは沢山あった。

 

王さんは、多少イジけてはいたが、好きな女の子の為と色々と手伝ってあげていた。

偉い男である。

 

そうこうしている間に直ぐに卒業式が過ぎ、その一週間後に燕ちゃんの帰国の日がやって来た。

 

私は仕事を休んで車を出し、王さんと一緒に空港まで見送りに行った。

 

三人最後のドライブであった。

 

チェックインを済ませ、出発ゲートの前に来た時、王さんは燕ちゃんに何やら中国語で話し始めた。

 

何を言っているのか細かい事はもちろん分からないが『我愛你』(オゥアイニィ)と言う単語は聞き取れたので、多分最後の愛の告白であったはずである。

 

時間にして一、二分。

王さんが必死に何かを伝えたその直後、、、

 

 

 

燕ちゃんは「再見」(ツァイツェン)と言って王さんのほっぺにキスをした。

 

私は渾身のガッツポーズであった。

 

 

 

ゲートをくぐった後、こちらを見た燕ちゃんは、満面の笑みでイタズラっぽく舌を出し、美しく澄んだ声で私達二人に。

 

「再見!」

 

と、言って飛行機へと向かって行った。

 

燕ちゃんの姿が見えなくなると私は、『良かったな!』と王さんに握手を求めたが、王さんは『ヨクナイヨ、ワタシフラレタヨ』と言った。

 

そして、二人で爆笑した。

 

ああ見えて中々悪い女である。

 

 

 

その後、王さんとは暫く付き合いがあったのだが、時が流れ、お互い家庭も持ち、ましてや同じマンションに住んでいる訳も無く、今では一年に一度位電話でやり取りをする程度の仲である。

 

風の便りによると、燕ちゃんは地元の裕福な人に見初められ、幸せな家庭を築いているそうだ。

 

ずっと幸せでいて欲しいと思う。

 

 

 

大人になると、何かを得る為に何かを諦めなければならない瞬間がままある。

 

その度に色々迷い、様々な決断をしていく。

 

多くの人が、件の燕ちゃん達の様に学校生活や進学、更には就職活動などを通じ、そういった事を経験しながら学び、少しずつ大人になっていくはずである。

 

しかし極めてクレイジー、かつダイナミックな十代を過ごした当時の私は、なんにも迷わず色んな事を一人で決めていた。

 

決断力が優れていた訳では無い。

単に何も考えていなかっただけである。

 

様々な人生の岐路に立った時、最終的な決断をするのはもちろん自分なのだが、自分一人で決めると、大体ろくな事にはならない。

 

自分自身を、本当の意味で客観的に見られる人間など、そうはいないので当たり前である。

 

共に迷い、共に生きてくれる家族や友。

 

そういった人が一人でもいると、少なくとも自分だけで決断するよりは、広がりのある豊かな人生になるはずだと私は思う。

 

 

 

と、いう訳で。

 

本日の昼食は友の進言を聞き入れ、四日連続のカレーを諦めてカツ丼にしようと思う。

 

それでは皆様。

 

再見!

 

 

 

そんな、二回目の青春の話。