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森猛 伊亮

森猛 伊亮
中学校卒業後、不動産屋や大工、果ては証券屋やボーイなど様々な経験をつみながら、デンジャラスかつクレイジーな生活を経て、2013年より独立。

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怪我の功名の話

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【この記事は約9分で読めます・約3900字】




三日前に『怪我の功名の話』と題し、この原稿を書き始めようとした。

 

しかし、一行も書かぬままその二時間後には『雨降って地固まる話』と改題し、更に三時間後には『親知らずの話』となっていた。

 

それからも一文字たりとも何も書かずに三日が過ぎ、結局『怪我の功名の話』となって先ほど原稿を書き始めた。

 

もちろん私は糸井重里では無いので、名キャッチコピーを三日間に渡り熟考していたのでは無い。

 

要するに、怪我をしようが雨が降ろうが、ましてや親が知らんでも何でもよかったのだが、びっくりするくらい集中力が欠如していたので、原稿に向かう度に興味も無いユーチューブを見てみたり、耳掃除をしてみたり、果てはヘソ掃除まで始める始末であった。

 

あんまりにも何度も同じ事を繰り返した為に、おかげ様で赤ちゃんの様なプルプルのへそになった。

 

時節柄、五月病の話かとお思いになるかも知らんが、そうでは無い。

 

そもそも五月病というのは四月にはシャキッとしている人がかかるものなので、一年中集中力を欠き、フワフワしている私がかかるはずがない。

 

むしろ寒さに弱くて暑さにはもっと弱い私にとって、一年で一番活動しやすい季節である。

 

では元々雀の涙程しかない集中力が、なにゆえ赤ちゃんヘソになる程下がっているかというと、歯が痛ぇのである。

 

物淒く痛い。

 

とはいえ、私は歯ぎしりが酷くその圧力に耐えられなくなった歯が割れた事はあるが、子供の頃からなぜか虫歯にならない特異体質なので虫歯では無い。

 

親知らずが突然急成長し、歯茎を圧迫して痛いのである。

 

なった事がある人はわかると思うが、これは物淒く痛い。

 

なった事が無い人の為にわかりやすく痛さを説明すると、歯茎をペンチで挟んだ感じである。

 

三日前原稿を前にして痛くない歯茎で試してみたので間違い無い。

同じ痛さであった。

 

歯茎をペンチで挟まれたら、清少納言だって何も書けないはずである。

 

ましてや、元々の集中力が三歳児並みの私が痛みを気にせず集中して文章を構成するなどほとんど奇跡に近いので、おっさんのヘソはめでたく赤ちゃんヘソとなった。




しかし痛い。

 

上下左右各一本づつある親知らずの内、上の二本は痛みも無く知らん間に生えており、なんの問題も無かった。

 

で、下の右は未だに生えてくる様子も無く大人しくしているが、左下の親知らずだけが悪さをする。

 

実は二年前に初めて同じ痛みを感じたので歯医者に行ったのだが、沢口靖子似の美人歯科医から、真っ直ぐ生えてきているので手術で抜く必要は無いと言われた。

 

沢口靖子曰く、成長痛の様なもので、無理矢理生えてくる親知らずの成長に、受け止める側の歯茎が追いついてない為痛みがでるらしく、受け止める準備が出来る三週間ほどが過ぎれば痛みは無くなるとの事であった。

 

基本的に歯医者にほとんど行った事の無い私は、余りの痛さににわかには信じられなかったが、三週間を待たずにすっかり痛みは無くなった。


やはり科捜研の女に間違いは無かった。

 

その後、去年も同じ症狀になったので流石にヤバイと思い同じ歯医者行ったが、やはり同じ事を言われて三週間後には沈静化した。




という事で今年も三週間すれば収まるのであろうし、痛いことは痛いのだが、痛み始めて二週間が過ぎた今、思わぬ事に気付いた。

 

少し痩せた。

これは快挙である。

 

私は中々ダイナミックな人生を歩んでいる為、時期による収入の浮沈が激しい。

二千万程の年収の時もあったし、三十万位の年収の時もあった。

 

年収三十万である。

ほとんど食う物食わずである。 

 

そういう期間が通算にすると結構ある為、食える時には食えるだけ食うという習慣が身についている。

 

尚且つ『ご飯を残すと目が潰れる』という祖母の教えを未だに信じている節があるので、出された物は全部食べる。

 

ここ三年は収入が安定しているので食べることを我慢する必要が無く、人と食事に行く時も足りないのは嫌なので多めに注文し、余ったら全て自ら平らげる。という生活をしていたので体重が20キロ近く増えていた。

 

しかし、親知らずの痛みは通常何もして無くても痛いのだが、食事を取るときの痛さは只事では無いので自然と食事の量が減り、この二週間で3キロほど痩せた。

 

ここ三年の大幅な体重増加にもかかわらず、各種健康診断の結果はすこぶる良いので、こういう機会が無ければ痩せる気の無い私の体重はどんどん増加していったであろうと思う。

 

正に怪我の功名である。

 

実はこういう事は、人生においてままある。

 

 

 

年収三十万時代の私は、とある不動産屋に勤めていた。

当時十六歳である。

 

この会社は会長とその息子の社長、そして後に社長の愛人となる常務に私を加えたメンバーで構成されていた。

 

この会長は、バブル期には一人で結構大きな商いをしていた不動産屋であったが、バブルの遺産が少しずつ減っていたので日銭を稼ぐ為、息子に賃貸屋を始めさせる事にした。

 

始めさせるにあたり、知人から安く借りた店舗と多少の運転資金を息子に与えたのだが、この息子はそれまで会長の運転手と某中華料理チェーン店で餃子焼きのバイトしか社会経験が無い人物であった。

 

営業経験などもちろん皆無であったので、営業経験を持つ知人ももちろんいない。

 

その為、合コンで知り合った服屋のネェちゃんと、年齢を誤魔化して水商売のボーイをしている面白い兄ちゃんであった私を仲間に加え、不動産賃貸屋を立ち上げた。

 

殆どママゴトである。

犬・雉・猿の方がまだマシに思えるメンバー構成であった。

 

十六歳の私は大変無知であったので、今考えると何故かよくわからないが『不動産屋』という響きに謎の憧れを抱き、誘われてすぐに入社した。

 

息子の社長と元服屋の常務は会長から給与が出るが、私は完全出来高制の給与体系であった。

月二万円の住宅手当が支給されるが、売上げが上がらないと給与は殆ど無い。

 

若気の至りとはいえ、よくこんな条件を受け入れたと逆に感心する。

我が事ながら、物凄ぇ根性である。

 

営業をした事がないメンバーは、もちろん広告を打ち出すという発想すら思い浮かばないし、人通りがとても少ない場所に店舗を構えていたので殆どお客さんが来る事は無かった。

 

来たとしても営業経験の無い三人では、契約に結びつく事はほぼ無い。




そんな不毛な時間が半年程過ぎた頃には、仕事に飽きた社長と常務はあまり店に来なくなった。

 

残された私はほとんど一人で店番をしていたが、物凄ぇ暇であった。

 

暇すぎてやる事が無かったので、近くの賃貸屋からチラシをもらってきて、それを手本に見よう見まねでチラシを作成してみた。

 

どうせ客は来ないので、店に『外出中』と書いた看板を貼り付けて、そのチラシを抱え自転車で近所の家に投函しまくった。

 

その結果、、、

 

反響は皆無であった。

 

当たり前である。

汚い手書きで作成された白黒コピーのチラシなど見ても誰も電話するはずが無い。

 

だが、当時の私はチラシの内容では無く、もしかしてポストに投函してもすぐに捨ててしまって誰も見てないじゃないかと考え、近くの駅前で直接道ゆく人に配る事にした。


くる日もくる日もチラシを撒き続けるが、反響は無い。

というか、ほとんど受け取っても貰えない。




そんな事をし始めて二カ月程が経つ頃、生活にも困窮してそろそろ限界を感じていたので退職を考えていた折、事件は起きた。

 

その日は朝から雨が降っていた。

 

雨降りの日はチラシ巻きはしないという自分ルールがあったのだが、この時の私はとにかく生活に困窮しており、お客さんを獲得する事に必死になっていたので、いつもの様にチラシを撒きに駅前へと繰り出した。

 

雨が降っていたので、いつもの場所ではなく駅の反対側にある屋根付きのアーケードへ向かう事にした。

 

このアーケードへ向かう為に線路を横断するには、踏切が近くにないので駅構内を横断する事になる。

 

この駅は線路をまたぐタイプの駅で、二階に改札口と切符売り場があるのだ。

 

その為、線路の手前側の階段から二階に上がり、改札口を横切って駅の反対側に行った。

 

そして下りの階段を半分くらいまで降りた時、、、

 

足を滑らせ盛大にコケた。

 

右手にチラシ、左手に傘を持っていた私は地面に手も付けず、まるで池田屋事件の様に階段から転げ落ちた。

 

顔と膝を擦りむいて血だらけになり、一枚しか持っていないスーツまで破れた。

 

踏んだり蹴ったり、泣きっ面にテポドンであった。

 

ボロボロになった私は、恥ずかしいのと痛いのとで一瞬パニックになったが、着地した際に苦労して作ったチラシをばら撒いてしまったのですぐに拾い始めた。

 

 

この時奇跡が起こる。

 

 

一部始終を見ていた優しいおじさんが一緒にチラシを拾ってくれたのだが、チラシを拾いながら『君は不動産屋か?』と尋ねられた。

 

なんと、このおじさんは近くの病院の院長さんであり、看護師さんの寮が老朽化で取り壊す為、二十人分の賃貸マンションを探していて、今正に不動産屋の帰りとの事であった。

 

そして、私に『あんまり良い物件が無かったから兄ちゃん探してみてくれや』と言った。

 

私はめちゃくちゃに泣きながら、ありがとうございますと言った。

 

おじさんがひくぐらい泣いていた。

 

 


その後、全力で物件を探して無事契約を結んだのだが、その後も何かにつけてこの院長は不動産に関する仕事を紹介し続けてくれた。

 

これに味をしめた私は、この後しばらく間、他の不動産屋から出てくる客を先回りして、目の前でコケまくる事になる。

 

 

 

人生には必ず悪い事が起きる。

 

悪い事が起きるという事は、いつもと違う事が起きるという事である。

 

いつもと違う事が起きると、思わぬ良い事が起きる事だってあるはずである。

 

この季節、四月から新しく社会人になった人や、新しい配属先に移動した人の中には、新しい環境が前より悪くなったと感じて五月病にかかり、憂鬱になっている方々もいると思う。

 

しかしそれは、もしかしたらとんでも無く良い事が起きる前兆かも知れない。


そんな結局五月病の話。