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森猛 伊亮

森猛 伊亮
中学校卒業後、不動産屋や大工、果ては証券屋やボーイなど様々な経験をつみながら、デンジャラスかつクレイジーな生活を経て、2013年より独立。

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美味しくなって新登場の話

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【この記事は約7分で読めます・約3100字】

 

 

 

皆さん、明けましておめでとうございます。

 

平成という時代が終わりを告げ、昨日から令和と言う時代が始まった。

 

この度の改元で今年は正月が二回来た感があり、何となくお得な感じがする。

 

日本中がめでたい感じで、なんだかみんながウキウキしている感じもする。

 

あくまでも感じである。




平成が始まる際の、私はまだ幼かったのであまり記憶にはないのだが、伝え聞くところによると昭和天皇崩御に伴うものであり、日本中が自粛ムードだったらしいのでまさかこんなにウキウキはしていなかったと思う。

 

ウキウキに拍車をかける様に、世間はかつて無い十連休中とあって、心なしか道行く人達もお祭り気分に見える。

 

私は毎年ゴールデンウィークを避けて五月末に旅行に行くため、月末にまとめて休みを取る。

 

その為、十連休どころか只今怒涛の十六連勤真っ最中なのだが、根本的にミーハーお祭りおじさんなので、道行くその辺の人々よりお祭り気分である。

 

昨日は令和まんじゅうなる物を食し、令和Tシャツなる物を着て寝た。

 

更に先程、令和マグカップという物を買ったのだが、物が増えると家内に叱られるので自宅に帰ったらこっそり押入れに隠してご機嫌が良い時に出そうと思う。

 

そんな、只今お祭り令和おじさん中の私は昭和六十年に生まれた。

 

しっかりとした記憶の始まりは平成元年の十月頃からスタートしているので、まさしく平成と共に育った世代である。

 

平成約三十年。

 

短い様で結構な時間である。

 

平成元年には玉の様に可愛いらしい子供だった私も、少し前から腹も出て白髪もちらほらと出てきた。

 

これ位なら少し体質が変わっただけだと自身に言い聞かせておったのだが、この前寝起きの枕からおじさんの匂いがした。

 

しっかりとおじさんになった事を自覚した瞬間である。

 

ちょっと泣きそうであった。

 

幼児がおじさんに変貌する位なので、世の中も随分と変わった。

 

科学的進歩は言わずもがなで、平成初期から見れば三十年で電話とテレビとファミコンとウォークマン、その他諸々が一体となり、最近の話で言うと不可能なはずのブラックホールの撮影まで出来る様になって、剛力も月旅行間近である。

 

町の年寄りは十歳は若返り、スタップ細胞は無かったがIPS細胞はあったので、益々寿命も延びていくであろう。

 

その他にも、日本人がメジャーリーグで三千本もヒットを打ち、実業家がアメリカ大統領となり、いいともが終わった。

 

改めて考えるともの凄げぇ変わり様である。

 

少なくとも平成初期には考えもしなかった未来が来た。




過日、私は少年時代の一時期を過ごした大阪の枚方市という町に商談の為久しぶりに訪れたのだが、当時は田んぼと畑だらけだったこの町も随分な変貌ぶりであった。

 

京都と大阪の府境にあるこの町は、某私鉄の特急列車が停車する様になり、電車で大阪中心部まで約15分、京都中心部へも約20分程度で行ける大変便利な場所になった。

 

その為、両方の都市部のベッドタウン化が進み、田畑だった場所にはマンションや戸建て住宅が立ち並び、更には映画館やホームセンター、大型ショッピングモールなどの施設も充実していた。

 

私が暮らしていた当時、少年が映画を観るには年に一度の市民会館で催される子供映画祭を待つか、チャリンコで一時間以上かけて都市部に行くしか無かったし、普段の買い物など、近所には薄暗い公設市場みたいな所しか無かったはずである。

 

旧友から町が変わったとは聞いていたが、会う時はこの町では無く大阪中心部で会っており、特段用事も無いのでこの地に訪問する事も無かった私は、ほとんど浦島太郎であった。

 

私の生家はこの町では無く京都の中心地なのだが、なかなかファンタスティックな家庭環境であったので、産まれてから十四歳で家を飛び出すまでの間に八回程の引越しを繰り返していた。

 

八回の引っ越しの内四回がこの町への転入であり、通算で八年位はこの町で暮らしていたので実家を持たない私にとって、この地はふるさとの様なものである。

 

社会人になってからもまるで根無し草の様に転居を繰り返し、実家などとうの昔に捨ててしまった私でも、この町の変貌ぶりにふるさとを失った様な感じがして少し悲しい気分になった。


とまぁ、すっかりセンチメンタルジャーニストとなった私だが、商談が終わる昼頃には少年がおっさんに変わるんやからそら町も変わるよなぁ。と、得心して昼食を取る為に昔は広大な田んぼであった場所に出来た大型ショッピングモールへと向かった。




だが、その道のりにとても懐かしい風景をふと見つけ、私は車を止めた。

 

そこには昔と何一つ変わらない姿で残っていた一軒の小さな洋食店があった。

その洋食店は、私が小学生の頃、月に一度京都から遊びにくる祖母がよく連れて行ってくれた洋食店である。

 

当時は今とは違って土曜日にも学校があったが十一時半には授業が終わる。

 

近畿圏外の人には理解出来ぬかも知れないが関西に住む小学生には、毎週土曜日は十二時から始まる『吉本新喜劇をテレビ鑑賞しなければならない』という義務が課せられている。

 

その為、授業が終わった瞬間急いで帰宅し、チキンラーメンを食べながらこれを観るのが私の習慣であった。

 

だが、毎週第二土曜日は祖母が来ており、吉本新喜劇を見終わった後、件の洋食店に連れて行ってくれるのでこの習慣は崩れる。

 

チキンラーメンも美味いが、この店のポークカツとグラタンの美味さは只事でなかったので、毎週第二土曜日は令和が来るのと同じくらいに、私はウキウキしていた。




そんな少年期を思い出しながら、ウキウキと洋食店の扉を開けると二十年以上前とほとんど変わっていなかった。

 

ポークカツランチとグラタンを注文し、店内を眺めたのだが、唯一変わっていたのは当時店主夫婦と息子さんの三人で店を切り盛りされていたのが、そこに息子さんのお嫁さんが加わった位であった。

 

愛想の良い奥さんとお嫁さんが注文をとり、全く笑わぬご主人と息子さんが料理を作る。

 

当時小学生だった私は、料理を作る二人を見て愛想の悪い怖ぇおじさんとお兄さんだなと思っていたが、社会人になった今見るとこの二人は決して愛想が悪いのではなく、笑う余裕が無い程真剣にグラタンを焼き、ポークカツを揚げていた。




そして、その様に真剣に作られた料理を食べた私は猛烈に感動した。

 

甘みのある豚をさっくりと揚げ、信じられないくらい美味いデミグラスソースがかかったポークカツ。

 

何が入っているのか皆目検討もつかないが、魚介の旨味がぎっしり詰まり、チーズやホワイトソースと見事に調和したグラタン。

 

もうお前が主役だろ、と思うほど完成された付け合わせのポテトサラダ。

 

何もかもが二十年以上前と寸分たりとも変わらない、只事では無い美味さであった。



 

昨日から新しい時代が始まった。

 

時代が進むにつれて色々な事が変わっていく。

 

先日、私が十年以上飲み続けていた缶コーヒーが『美味しくなって新登場』とパッケージまで変わっていたのだが、ビックリするほど私の口には合わなかったので、違うものに乗り換えた。

 

新しくしよう、良くしようと努力することはとても大事なことであるが、良いものを良いまま継続する事もとても大事な事だと思う。

 

新しい事と良い事は決してイコールでは無いはずである。

 

飽きないで商いをする。

 

そんな当たり前の事を十代の頃、どっかのオヤジにドヤ顔で言われた事がある。

 

だが、前職を退職して独立してから五年が過ぎ、最近そんな当たり前の事が出来ずに仕事にめちゃくちゃ飽きていた私がいた。

 

そんな私に、この洋食店はとても大切な事を教えてくれている気がした。

 

これから先の新時代も、どこかのオヤジのダジャレと、信じられないくらい美味いグラタンの味を胸に秘め、飽きずに商いをしていこうと思う。

 

しかし、、、

 

某飲料メーカーさん。

なんとか前の缶コーヒーに戻してはもらえないだろうか、、、

 

そんな温故の話。