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森猛 伊亮

森猛 伊亮
中学校卒業後、不動産屋や大工、果ては証券屋やボーイなど様々な経験をつみながら、デンジャラスかつクレイジーな生活を経て、2013年より独立。

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働き方改革の話

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出張先からの帰宅中、新幹線の車内でとある時代小説を読みふけっていた。

 

私には、映画や小説の世界に入り込む癖があり、この癖は作品の面白さに比例して酷くなる。

 

この時に読んでいた小説の面白さはとんでもなかったので、新潟ー広島間の約六時間の間に私はほとんど幕末の侍となっていた。

 

実際には、新潟で平和な商談をしてきただけである。


しかし、脳内では鳥羽伏見の戦いで敵軍に斬られ、命からがら許嫁の待つ町の団子屋に辿り着いた事になっていたので自宅の玄関を開けた瞬間。

 

『お千代、、、お千代はおらんか、、』と息を切らして倒れ込んだ。

 

すると、家内は何かを察したらしく、リビングから駆け寄ってくると。

 

『お侍さんっ。斬られても死なんと私と約束したでしょう!』と私を膝の上に抱きかかえた。

 

この女。

ノリノリである。

 

だが、この女は団子屋のお千代ではなく私の妻であったので、よくわからない事をしてないで洗濯物を早く出せと叱られた。




幕末の侍から平成の商売人に戻った私は、そそくさと洗濯物を出し、風呂に浸かりながら、江戸時代に生まれなくて良かったとしみじみ思った。

 

私は花の中卒であり、更に小・中学生の時も社会の授業中はお昼寝をしていたため、史実は全然知らんが、斬られて死ぬのはともかく、件の小説を読む限り江戸時代とは大変な格差社会であったそうだ。

 

格差社会。

昨今、日本の大きなテーマである。

 

私は江戸時代の格差社会に興味が湧いた為、賢い後輩の新くんに電話してみた。


新くんによると、私がお昼寝の合間に聞いた、いわゆる『士農工商』という序列はデタラメであり、現在の教科書からも削除されているという。

 

正確には『士』すなわち武士と『農工商』の一般階級とに分かれてはいたが『農工商』に序列はなかった。

 

更に武士とは現代風に言うと公務員であり、一般階級はそれ以外の人なので、幕末の頃には実は身分による経済的な格差はそんなに大きく無かった。

 

むろん職業は原則世襲制なので、よっぽどの事がない限り転職は難しいし、結婚なども身分を超えてすることは少なく、一般階級には苗字が無いなど社会生活においては不自由なことはある。

 

しかし、経済的な格差は身分の格差よりも、むしろ同じ身分内での格差が酷かったそうだ。

 

金持ち侍と貧乏侍。

金持ち農民と貧乏農民。

 

商人も漁師も先祖代々金持ちは金持ちで、貧乏は貧乏のまんま。

地位や役職もほぼ世襲制で、どんなに頑張ってもほぼ逆転不能。

 

下克上など起こり様が無いので徳川幕府は三百年も続いたんだと思います。

まぁ歴史の事なんで諸説ありますけどね。

 

と、新くんは話した。

 

流石は新くん。

まるでウィキペディアである。

多分、彼の前世は偉いお侍さんであろう。

 

そして、前世は越後屋の下っ端であろう私はたいそうビビった。

江戸時代とはなんとも怖い世の中である。




私は中学二年生の時に家を出てから、誠に好き放題に生きており、中々クレイジーかつダイナミックな生活を送っていた。

 

ここには書ききれない程色々な事があり(興味のある方は過去の記事をご参照下さい)、今から僅か十年前の二十三歳の時には二千万円程の借金があった。

 

あんまり金がなさすぎて、電気、水道、ガス、電話が止まるのは日常的茶飯事で、ほとんどホームレスみたいな時期もあった。

 

私が江戸時代に生まれていたなら、とうの昔にのたれ死んでいる。

 

なぜなら、江戸時代にはそもそも家や町を出ること自体が『脱藩』と呼ばれる重罪であるので、中学生の時からいまだに家出少年の私は、藩からの刺客によってとっくに斬られているはずである。

 

更に現代の学歴制度というのは、就職時などその性質上、江戸時代の身分制に通ずるものがある。

 

江戸時代と現代で決定的に違うのは、生まれ持っての世襲であるか、個人による努力の末に一生懸命に勉強をして学歴を勝ち取るかである。

 

勉強より遊ぶ方が楽しいという極めてクレイジーな理由で、個人による努力を全然しなかった私の学歴は、当然ながら最下級の中卒である。

 

ということは、よしんば藩からの刺客より逃げおおせたとしても、最下級の身分で、更にしこたま借金を抱えておれば、下克上不能の江戸時代では間違いなくのたれ死んでいるはずである。

 

江戸時代怖ぇ。




では江戸時代ではなく現代に生まれた私はどうかというと、のたれ死ぬどころか物凄ぇ幸せである。

 

現在私は小さな会社を経営している。

2013年に前職を半ばヤケクソで退職し、いわゆる個人事業主として営業を始めて2017年に法人化した。

 

おかげ様で、現在に至るまで私の能力とは専ら関係無く会社の利益は右肩上がりで、それに比例して私の所得は増えていき、今となっては私の年齢・能力・学歴等と照らし合わせても過分な所得がある。

 

会社、個人共に借金も無い。

 

更に家に帰ればノリノリな妻や、モコモコのシーズー犬も居るので誠に幸せである。

 

人から見れば普通の暮らし振りであろうが、元々の生活が泣きたくなる程ひどいものだったので、私からすれば物凄い下克上である。

 

『普通の生活をする』ということが、私にとっての天下統一であるので、現状を鑑みるとこれ以上の下克上は全く必要ない。

 

もちろん、現在の会社でも売上げを伸ばす為に新規事業を始めたり、新規顧客を開拓する努力はしているが、これ以上何かを求めている訳ではなく、なんとか現状を維持したいだけである。

 

では、これからの人生において下克上が必要ないかというと話は全然違ってくる。

 

私の経験上、良い時期があれば必ず悪い時期がやってくる。

もちろん悪い時期が来ない様に努力はするが、それにしたってどうにもならない事は人生においてままある。

 

もしその時が来て犬用シャンプーが買えなくなると、モコモコのシーズー犬も石鹸で洗うはめになるのでガシガシになってしまう。

 

もしその時が来た時、私は家長として人生において何度目かの下克上を起こさなければならない。




しかし。

しかしである。

 

江戸時代ではなく、平成ももうすぐ終わろうかという現代に、もしかしたら下克上不可能の時代が来るんじゃないかと私はビビっている。

 

理由は昨今話題の『働き方改革』のせいである。

 

偉い政治家の先生や官僚の方々が、日本の為に日夜一生懸命考えてくれた政策だと思うので間違いは無いのであろうが、根が小心者の私はとてもビビっている。

 

働き方改革の概要は厚生労働省のホームページを見ると膨大な資料になりここには書ききれないので、要約すると下記の三つが大きな柱であると思う。

 

①労働者不足の解消

②長時間労働の是正

③同一労働同一賃金

 

まず、①の労働者不足の解消に関しては下克上の観点からすると全く脅威ではない。

平たく言うと、日本の人口が減っているので、元気なおじいちゃんやおばあちゃん、更には外国人の人も日本に来て働いてねという話である。

 

現役世代の日本人からすると自分の仕事が、今まで仕事をしていなかった人達に奪われるんじゃ無いかとの懸念があるかもしれないが、労働者=消費者になるので景気の拡大になり、理論上はむしろ仕事は増える。

 

もっと言うと団塊世代などは、オートメーション化が進んでいる現在より、仕事の絶対量が多かったとはいえ労働人口も多かったろうし、競争は常にあった方が健全であると思う。




私が脅威に感じているのは、②と③である。

 

②の長時間労働の是正であるが、目的としては頻発する過労死や過労からくる心的ストレスによる自殺への対策が挙げられる。

 

誠に尊い話である。 

 

人命に勝るものなどこの世にはあろうはずが無いので、この理念はもちろん正しい。

 

しかし、これは『働かされた』場合の話である。

 

会社員とは奴隷ではないので死ぬほど働かされる筋合いは全く無い。

 

だが、これを拡大解釈して働きたい者が規制の対象にならないかと心配している。

 

実際、私の周りの会社員の友人などは、働き方改革の名の下に、残業が禁止になったばっかりに残業代が無くなり生活が苦しくなった奴が少なからずいる。

 

しかも話は残業代だけでは無い。

むしろこちらの方がメインである。

 

私の場合、仕事を処理する能力が著しく低い。

 

人が一時間の内に10の仕事を処理出来るとしたなら、私はせいぜい5-6の仕事しか処理出来ない。

ということは、10の仕事を処理するのにおおむね二時間要する事になる。

 

それ故に会社員時代は、俗に言うサービス残業というやつで帳尻を合わせていた。

 

ただ仕事が遅いだけなので、会社からすると全然サービスになってないのだが、他に呼び様がないのでこう呼ぶ。

 

何故そんな事をするかというと、1-10の仕事のうち5まで終わらせて6ー10の仕事を処理能力の高い人に手伝ってもらったとする。

 

すると、私は6-10の仕事を全て経験出来ない。

 

これはマズイ。

 

私は大変出来が悪いので、人が10の仕事をするうちに、13位の仕事を経験しないと普通の人に追いつけない。

故にたとえ残業代が出ないとしても労働時間を削られるとツライものがある。

 

しかも、この②に対する理念は大変立派なものだが、①とは明らかに矛盾するのでよく読んでみると対策としてダブルワークを推奨している。

 

一つの会社で十六時間働くのと八時間づつ二つの会社で働くのでは、残業代の有無だけでは無く仕事への理解度も変わってしまうと思う。

 

と言うよりそもそもの目的の意味がわからなくなってくる。




そして、③の同一労働同一賃金の話だが、こちらの目的もまた素晴らしい。

 

非正規社員と正規社員の格差是正の為に、同じ『成果』を上げた人は同じ給料にしましょうねという話である。

 

だが、こちらも拡大解釈が怖い。

 

例えば、『成果』のところが『部署』になったとする。

 

同じ部署の人は同じ給料にしましょうね。

 

これは怖い。

 

昔の私の様にしこたま借金をこさえていると、同じ給料を貰ったとしても返済の為に右から左に流れてしまうので、普通の人に全然追いつけない。

 

という事は普通の人より頑張って成果を上げて給料を増やさないと、普通の地点まで浮上出来ない。

 

それが出来ないとなると、益々差がついていく事になるのでこちらも目的意味がわからなくなってくる。




無論、偉い政治家の先生、官僚や有識者の方々が日本の為に一生懸命に考え抜いて作ってくれた政策なので、間違ってはいないのであろう。

 

そもそも、下克上も何もそこまで落ちぶれるお前が悪いと言われれば照れ笑いしか出来ないし、もしかしたらすっとんきょうな事を言っているのかも知れない。

 

しかし、私の様に『勉強が嫌い』とか『家族と気が合わない』等ひどく自分勝手な理由からではなく、自分のせいではどうにもならない深刻な理由で家や学や金を失った人達はたくさんいる。

 

人間は誰しも平等ではないが、失ったものを取り戻す機会は平等に訪れるべきである。

 

少なくとも江戸時代と比べると、平成という時代は随分とみんなが平らに成った時代だと思う。

 

その一方で、これだけ格差社会が叫ばれているという事は何か問題があるのだろうとも思う。

 

これから来る令和という時代は、誰しもが自分自身の天下統一を目指せる時代になる事を切に願う。




と、ここまで書いた所で後ろを振り向くと。

 

『野球と政治の話は炎上するから外でするなとこの前言ったところでしょうが』と、お千代が刀を研いでいた。

 

斬られたら困るのでこの辺で筆を置く。

 

そんな、新時代への希望の話。