ここで会ったが木曜日

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森猛 伊亮

森猛 伊亮
中学校卒業後、不動産屋や大工、果ては証券屋やボーイなど様々な経験をつみながら、デンジャラスかつクレイジーな生活を経て、2013年より独立。

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感謝の話

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【この記事は約8分で読めます・約3200字】




当サイトは、はてなブログというブログサイトを使用して発信している。

 

そしてこのサイトには『読者になる』というシステムがある様だ。

 

お気に入りのブログを見つけた時に『読者になるボタン』というものを押すと、そのブログが更新された時にメールでお知らせが来たりするらしい。

 

大変便利なシステムである。

 

現在、当サイト『ここで会ったが木曜日』にも37人の読者の方がいらっしゃるのだが、とても気になった点がある。

 

このサイトはその名の通り毎週木曜日に更新している。

 

今年の二月二十八日から始まり、先週はエイプリルフールを建前にズル休みをした。

 

ということは、今週は実質七本目の記事になるのだが、最初の三本目までの読者は家内・知人・知らない人の三人であった。

 

で、四本目を更新したと同時に一気に二十人以上増えて、その後少しずつ増えている。

 

深刻なメカ音痴の私は、一気に増えた時など新手の詐欺か、最近流行りのロシアからのサイバーテロに狙われたのかとビビったのだが、パソコンに詳しい知人に相談したところ考え過ぎだと言われた。

 

しかし、私はこのサイトを始めた事を五人の人間にしか話していない。

 

ブログの始め方の本などを読むと、初心者がブログを開設した場合、半年、あるいは記事を100本位書かないと知り合い以外誰もサイトの存在自体を認識出来ないので、訪問者は皆無と記している。

 

面妖である。

 

誰にも認識出来ないはずのブログを少なくとも四十人くらいの人が毎週読み、アクセス数から推測すると、それ以外の人も読みに来てくれているはずである。

 

プーチンの仕業で無いとしたら読者急増の理由は何であろうか。

 

その謎を紐解く為、過去の自分の記事を全て読んでみた結果、、、

 

めちゃくちゃ面白かった。

 

という事で、急に読者が増えたのは面白いからという理由で結論付ける事にした。

 

誰も褒めてくれないので自分で褒める。

 

とはいえ、私はものを書き始めると延々と長くなってしまう癖があるので、よっぽどの速読家でもない限り一記事読むのに5分やそこらはかかる。

 

たとえ面白いとしても、皆さんの人生の大切な5分以上を当サイトに費やして頂いている事は大変光栄なことなので、この場を借りて感謝したいと思います。

 

皆さん、本当にありがとうございます。

 

私は口先だけで『ありがとう』と言う男が大っ嫌いなので、皆さんの5分が少しでも幸福な時間になる様に、これからも面白い記事を書く努力をしていきたいと思います。




さて、感謝といえば過日とある商社に勤めている新卒二年目の健くんという後輩から相談を受けた。

もちろん仮名である。

 

健くん曰く、今勤めている会社の上司から、事あるごとに『お前には感謝の気持ちが足りない』とお小言をもらうらしい。

 

自分としてはそんなつもりは無く、常に感謝しているつもりなのに何故にそんな事を言われるのかとの事であった。

 

よくある話である。

 

というか、かくいう私なんぞ最近こそはめっきり言われなくなったが、多分おんなじ事を千回以上は言われた事がある。

 

皆さんの中にも若い頃よく言われた、又は今まさによく言われるという人もいるのではなかろうか。

 

しかもこの『感謝』いう言葉。

お小言で直接言われるだけでは無い。

 

私は仕事柄、色んな会社の会議室やバックヤードなど、様々な企業の内部の場所に入ることがよくある。

 

その際、そういった場所には『企業理念』や『接客の心掛け』等のポスターや額縁が飾ってあるのをよくみかける。

 

そこにはほぼ確実に『感謝の心を忘れずに』や『全てのものに感謝を』等と、何処かしらに『感謝』というキーワードが入っている。

 

それだけでは無い。

 

私は色々な企業の朝礼や会議に出席する機会もままあるのだが、その際にもこの『感謝』というキーワードは頻発する。

 

まるで感謝のわんこ蕎麦である。

 

では何ゆえこの様なわんこ蕎麦状態になるかというと、それはもちろん、商売や人間関係に感謝の気持ちがとても大事だからである。

 

で、健くんやかつての私もお腹いっぱいわんこ蕎麦を食べてはいるので感謝が大事だという事は重々承知しているし、意識もしている。

 

しかしながら足りないと指摘される。

 

なぜであるか。




私はその理由を、少なくとも読者急増の理由より正確に知っている。

 

まず第一に、実は『感謝をする』という行為を行う事自体が、社会に出たての若手には、めちゃくちゃハードルが高い。

 

どういう事かというと、お小言を発する上司であったり、企業理念を作ったりする社長さんや経営陣の方は少なからず優秀な方々で、様々な成果をあげてその席に座っているはずである。

 

そうでなければその会社は潰れているはずなので当たり前である。

 

成果をあげるということは、営業であれば売上げをあげる事であり、事務方であれば経費を削減したり、正確な資料を作ったりすることである。

 

勿論こういう事は一人では出来ない。

 

何かを売るのであればお客が必要であるし、経費を削減する為には業者や同僚の協力が必要で、正確な資料を作る為には正確な情報を提供してくれる提供者が必要となる。

 

という事は、成果をあげる度に感謝をする機会が出来る。

 

例えば、物を買ってくれてありがとう。

経費削減に協力してくれてありがとう。

締め切りまでに情報くれてありがとう。

 

もっと言うと。

 

成果をあげられる様に指導してくれてありがとう。

環境を作ってくれてありがとう。

 

と、どんどん感謝をする機会が訪れる。

 

そもそも感謝とは自分に何か利益があってこそ成立する概念である。

 

ここでいう成果と利益はイコールになるので、成果をあげられないということは、そもそも感謝をする機会が無い。

 

という事は実績の乏しい若手は、感謝をする機会がベテランと比べて圧倒的に少ないので、感謝のしようがない。

 

道行く人に突然ありがとうと声を掛けるやつはただの変態である。

 

昔、急に思いついて大阪ミナミの路上でやってみたら変な人に物凄い怒られた。

 

多分変な人は私の方である。

 

話を戻そう。




では、ただ成果をあげれば感謝出来るかというとそうでもない。

 

感謝する為には、何がありがたい事かを認識しないといけない。

 

これも若手には難しい。

 

例えば手編みのセーターをプレゼントされたとする。

 

物を貰う事への感謝は若手でも容易に出来る。

 

しかし、これがベテランになってくると。

 

似合う毛糸を探してくれてありがとう。

時間をかけて編んでくれてありがとう。

 

と、感謝する対象が広がる。

 

この差はどこでつくかというと、今まで人の為にどれだけのことをしてきたかで決まる。

 

先の例で言うと、衣服をプレゼントした事のある人は、似合う毛糸を探すのにどれだけ手間と時間がかかるか認識出来る。

 

物を作った事がある人は、限られた時間で物を作る事がどれだけ大変かが認識出来る。

 

若手のうちは何かをしてあげる事より、してもらう事の方が圧倒的に多いのでそこまで認識する事は難しい。

 

理由の認識も出来ず、機会も無い。

 

かくて若手は、ほとんどもれなく感謝難民となり、難民救出の為に部長辺りがお小言を発する事と相なる。

 

なんのことはない。

 

その部長も昔は難民であり、救出してやろうと真剣なので、職場は常にわんこ蕎麦状態となる。




どんな分野であれ、成功者と呼ばれる人はまず感謝を口にする。

 

人に奉仕し、成果をあげている人は即ち成功者なので当たり前である。

 

決して、成功する為に感謝する訳ではなく、感謝の積み重ねの先に成功がある。

 

そして、感謝をする為に多大な努力をする。

 

救出される側もする側もそこを共有出来ると、とても建設的になると思う。

 

さて、ここまで書いているうちに何か違和感を覚えたので、第三者として始めから読み返してみた。

 

コイツ、、、

 

全然感謝が足りてないぞ。


そんな無礼者の話。