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森猛 伊亮

森猛 伊亮
中学校卒業後、不動産屋や大工、果ては証券屋やボーイなど様々な経験をつみながら、デンジャラスかつクレイジーな生活を経て、2013年より独立。

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狼の話

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政治と野球の話は炎上するので外ではするな、と聡明な妻に泣いて止められたが、アクセス解析にによると、このブログは一日100人位しか読まないので炎上しようがないし、今日は一年の内で一番浮かれている日なのでもちろん話す。

 

 

 

今年も遂に、この日がやって来た。

明日はプロ野球の開幕である。

 

プロ野球ファンにとって一番楽しいのは、実は開幕前日の今日であったりする。

 

日本シリーズが終わってから今日までの間は試合が無いので、各スポーツ紙は野球について書くことが極端に少なくなる。

更に試合が無いと負ける事が無いので、批判のしようがない。

 

こうなると各スポーツ紙によるポジティブ祭りが始まり、紙上で若手は全員期待のホープとなり、中堅・ベテラン選手はもれなく復活の手ごたえを感じている事になっている。

 

ほとんど悪ノリである。

 

受け手のファンも試合が無いと欲求不満なので、しっかりとこの悪ノリに乗っかる。

 

私はパキパキの巨人ファンなので、毎年この時期には、ここ十年以上不在のレギュラーセカンドが彗星の如く登場し、宮國が15勝して小林の打撃が覚醒する幻想に取り憑かれる。

 

大体ゴールデンウィーク前には幻想世界から帰ってくることになるのだが、少なくとも開幕前日までは毎年幻想お祭りおじさんになる。

 

 

 

そんな楽しい開幕前夜だが、今年は何かが足りない。

 

と言うか全然足りない。

 

何故か。

 

内海、長野、山口鉄、西村健、杉内、マギー

など、暫くの間巨人をど真ん中で支えた選手達が一気に抜けたことも勿論ある。

 

昨シーズンオフに退団した選手をテーマにブログを書け、と言われたら私は多分二年は書ける。

 

それ位思い入れがある選手達が一気に抜けたのだから、そりゃあ喪失感は半端ない。

 

寺内の引退スピーチなんぞは、100回は見て100回は泣いた。

 

しかし、毎シーズン大量の新戦力が入団するのだから、その分誰かが確実に退団する。

毎年何かしらの別れと出会いがあるのだから、それは仕方がない。

 

毎年とても淋しいが、開幕までには気持ちは整理する。

 

だが今年に関しては今日までまだ折り合いがついていない。

 

 

 

そう。

 

由伸がいない。

 

高橋由伸がグラウンドにいないのだ。

 

内海や長野は巨人軍のスター選手であった。

彼らと巨人ファンは様々なストーリーを共有し、色々な思い入れがある。

 

彼らの泥臭さや涙に自分を重ね合わせ、ちから一杯応援したファンは少なく無かろう。

 

思い入れだけでいうと、多分由伸より沢山ある方も多くいると思う。

かくいう私もそうである。

 

しかし、高橋由伸はスーパースターであった。

 

野球に全く興味が無い方にもわかりやすく言うと、高橋由伸とは、すき焼きでいうところの肉であり、AKBでいうところの前田敦子である。

 

ベジタリアンや指原推しの方には大変申し訳無く思うが、外から見ると存在の成立自体が危うく見える程、ぶっちぎりの主役である。

 

何故ゆえ彼はぶっちぎりのスーパースターであり続けたのか。

 

勿論スポーツ選手であるので、野球の成績は重要である。

 

一本足の美しいフォームから繰り出される信じられない程力強い打球、矢の様な送球。

そして、その甘いルックスからは想像出来ない勝負強さ。

 

全盛期の由伸には全てが揃っていた。

 

しかし、冷静に振り返って数字を見ると一流選手の証といわれる2000本安打には大きく届いていない。

 

それどころか、首位打者、本塁打王などのタイトルも一度たりとも獲得していない。

 

プロ野球という舞台において、長きに渡り素晴らしい成績を残しているということは、誠に物凄いことではあるが、野球の成績だけで比べると阿部慎之介のほうがよっぽど凄い。

 

しかし阿部がスーパースターという認識をしている人は少数派であろうと思う。

 

由伸と阿部の差はなんであろうか。

 

そらルックスやで兄ちゃん、と言われれば笑ってごまかすしか出来ないが、私はそれだけでは無いと思う。

 

 

 

由伸はとにかく優しかった。

 

男の価値は、優しさの多寡で決まる。

これは間違い無い。

 

人に優しくする為には、まず自分が強くなければならない。

 

弱い男は自分の地位を守らんとする為に、人に優しくする余裕が無い。

 

もっと弱い男は人を貶めようとしさえする。

 

故に、優しさと甘さは全く異質のものであるが、優しさと強さはほぼ同義語である。

 

では優しさの多寡は何で決まるかというと、これは勿論背負った物のデカさである。

 

力ある者は必然的に、力の無い者の荷物も背負って生きていかなければならない。

 

人間は誰しもが多少なりとも何かを背負って生きているが、由伸のそれは常にとても大きかった。

 

そもそも彼は野球が全然好きで無かったという。

 

 

 

小学四年生の時に地元少年野球チームに入団すると、いきなり六年生ばかりのレギュラーに唯一抜擢される。

 

圧倒的な成績を残し、五・六年生時にはチームを県大会優勝に導く。

 

その後中学生になってからは、エースで四番として全国大会二連覇に貢献。

 

名実共に日本一の天才野球少年となるのだが、本人はあまり野球が好きでないので、ここまでの課程の中でも何度も野球を辞めようとする。

 

しかし父や兄弟、チームメイトなど周りの人間が喜んでくれる、との理由で野球を続けた。

 

高校進学時には将来を見据え、ここで野球を辞めて学業に専念しようとするが、父親より『後三年だけ楽しましてくれ』と、懇願された彼は各校のスカウト合戦の末、神奈川の名門校より甲子園を目指す。

 

ここでも一年生の時からレギュラーを張り、甲子園に二年連続出場し大活躍。

 

ほとんど漫画の世界である。

 

しかし、漫画の主人公は自らの夢の為に頑張るが、彼の場合は他人の夢を背負って生きていた。

 

天才少年のプロ入りに、周囲の人間の期待は否が応でも高まるが、本人にはてんでそんな気が無いので、複数のプロ野球球団からのスカウトを袖に振り、大学に進学する。

 

だが、天才はここから更に覚醒する。

 

プロ野球選手になりたいと思ったことすらも無かった天才は、大学野球の各記録を塗り替えまくり、大学野球日本代表の四番に座る。

 

遂には日本中の大学野球まで背負いだした。

 

流石にここまでくると、本人にもプロ入りの自覚が芽生えてくる。

 

ところが、彼はここからとんでもないものを背負いだす。

 

 

 

当時小学生であった私も、異様な雰囲気の中行われた入団会見を鮮明に覚えている。

 

野球をしている者なら、誰しもが死にたい位に憧れる栄光のドラフト1位指名。

 

しかも、舞台は花の都大東京である。

 

当時は逆指名制度もあり、自分の行きたい球団を選べるはずなので、普通の会見でなら喜びが溢れ出し、満面の笑みを浮かべるはずであるが、彼はクスリとも笑わなかった。

 

それもそのはず、彼が目指した大東京は、ドームではなく神宮であった。

 

彼は、大学時代に東京六大学のスターとして慣れ親しんだ神宮を本拠地とするヤクルト入りを熱望する。

 

対するヤクルト側も高校時代からスカウトしていた由伸には、是が非でも入団して欲しい。

正に相思相愛。ヤクルト入りは決定的であった。

 

 

 

事態が急変したのはドラフト前夜。

高橋家で緊急の家族会議が行われる。

 

当時のヤクルトスカウト部長によると、由伸の父は不動産業を営んでおり土地が焦げ付き莫大な負債を抱えていた。

 

その額六十億円。

 

巨人が肩代わりすると言っている。

ヤクルトとしては裏金でどうこうなる金額ではなく、父は家の為、巨人に入団する様に説得し、由伸は承諾する。

 

そりゃあニコニコ笑ってられない。

もう、ヤクルトとか巨人とか、そういう次元の話ではない。

 

 

 

二十二歳の新社会人に六十億円のプレッシャー。

 

半端では無い。

 

 

 

私は大学にいってないので新社会人では無かったが、二十二歳の頃なんぞ六十万の商談でもあたふたしていた。

 

結果的に巨人側としては、生え抜きのスーパースターと将来の監督を手に入れることが出来たので決して高い買い物では無かったが、本人としてはたまったものではない。

 

この時、いかに彼が天才であろうが六十億の重みにぶっ壊れてもおかしくは無かったと思う。

 

しかし、彼にとって唯一の救いは、この時の巨人には松井秀喜がいた。

 

 

 

小学生から大学時代までの由伸は、チームに入るのとほぼ同時にチームを背負っていたが、当時の松井は、王貞治・長嶋茂雄・原辰徳からのタスキをしっかり受け継ぎ、巨人、そして日本のプロ野球をど真ん中で背負っていた。ゆえに、由伸は期待のルーキーとしてプレーする事が出来た。

 

そんな中で由伸は、ルーキーイヤーから六十億の重みにも負けず素晴らしい成績を残し、ミスター長嶋からゴジラ松井に対してウルフ由伸という、よくわからないニックネームを貰う程活躍し続けた。

 

と思ったのも束の間、五年後には松井秀樹は日本のプロ野球を背負ってアメリカに渡る。

日本は背負って行ったが、巨人は完全に置いて行った松井兄さん。

 

またまた由伸はチームを背負う。

 

その後十年以上に渡り、ど真ん中で巨人を支え続ける天才に異変が起こり始めた。

 

四十歳という年齢が近づく程に、少しずつ成績が衰え始める。

各カテゴリーにおいて、その名の冠にはいつも天才と称された男に初めて訪れた挫折であった。

 

それまでの由伸には、なんでも出来るがゆえの余裕みたいなものがあった。

 

が、晩年の彼には恐らく初めて遭遇したであろう、出来ない事を出来る様にもがく必死さが見えた。

 

初めて見る彼のギラギラした顔つきは、やっと野球を楽しんでいる様に確かに見えた。

 

そして迎えた四十歳のシーズン。

 

代打、控えとして素晴らしい成績を残し、来期も現役続行。

 

下の世代にチームを任せてさぁ野球を楽しむぞ。

 

とはいかなかった。

 

 

 

野球賭博、原監督の愛人問題などのスキャンダルが巨人を襲う。

 

巨人のイメージダウンは計り知れなかった。

順番でいうと次期監督は、川相、村田真一あたりであった。

 

原辰徳の後釜としてはネームバリューに乏しいが、平常時であれば問題無かった。

 

しかしあの時の巨人のダーティーさを払拭するには弱すぎた。

 

事実。

 

私も川相監督では暫く巨人ファンを休憩していたと思う。

 

全てを払拭するには、スーパースター高橋由伸に託すしかなかった。

 

 

 

 

その後巨人の全てを背負い、三年間監督をしてくれた由伸を私は全力で応援し続けた。

 

歴史的連敗を記録するなど、お世辞にも強い巨人では無かったが、今までのどんなに強い巨人より大好きだった。

こんなにも胴上げが見たい監督はいなかった。

 

と、ここまで書いてやっと気づいた。

 

私達は、そろそろ由伸から卒業しなきゃいけない。

 

周りが彼の優しさに甘えるから、由伸は背負い続けないといけない。

 

原さんが帰ってきたからには、多分明日からは強い巨人が帰ってくる。

 

二十年ぶりに高橋由伸がいない巨人がどういうものになるかは、さっぱりわからないけど、頑張って強い巨人を応援しようと思う。

 

高橋由伸という優しい男が繋いでくれた強い巨人を。

 

そんな、旅立ちの話。