今日は春分の日という祝日らしい。
子供の日、勤労感謝の日、憲法記念日などと比べてなんとなくフワッとした祝日である。
なんとなく春が来た祝いっぽい感じだが、じゃあ立春の立場はどうなんねん、と思ったので調べてみた。
国立天文台によると、春分の日とは太陽が春分点を通過する瞬間を含む日とある。
なるほど。
全くわからない。
が、わからん事をわからんままにしておく事は、太陽が爆発するより恐ろしい事なので、賢い後輩の新くんに電話してみた。
もちろん仮名である。
新くん曰く、立春とは一年で一番寒い日で、これ以上は寒くならないからこれからは暖かくなる一方ですよー、という日であるらしい。
対して春分の日とは、丁度昼と夜が半分半分なので気温は暑くもなく寒くも無い日ですよー、という日で、一年で一番暑い日を真夏とし、一番寒い日を真冬とするならば、春分の日はいわば真春ですね、との事であった。
流石は大卒。
難しい事を簡単な言葉で教えてくれた。
多忙の中、訳の分からない電話に丁寧に対応してくれた彼には、お礼に好物のパイナップルを送ってやろうと思う。
何はともあれ今日は春真っ盛りの日ということらしい。
春という季節は、なんだかぼんやりとしているので、時間がゆっくり進んでいる気がしてなんとも心地が良い。
更に私は寒さに弱く、暑さにはもっと弱いので、この美しい季節をことさら愛している。
しかし、私の周りにはこの季節を憎む人が沢山いる。
皆さんの中にも大嫌いな人が多いのではなかろうか。
この美しい季節が嫌われる理由。
そう。
アレルギーのせいである。
前出の新くんによると、アレルギーとは自分の免疫力が過剰に反応する現象という。
ちょっと怖すぎる。
新くんは常に正しいのでこの話は本当であろう。
ということは、アレルギーとはなかなかサイコパスなやつである。
誰も助けてくれと頼んでないのに、勝手に男気を出して守ろうとし、結果として守る対象を傷つける。
ほとんどストーカーである。
この時期、スギやヒノキの花粉に過剰に反応するストーカー被害を被っている方は多いであろう。
先日、スーツ屋さんに買い物に出かけた時、若い兄ちゃんが接客してくれた。
彼はスギとヒノキのダブルアレルギーという事で、涙と鼻水をとめどなく流しながら接客してくれた。
鼻水のせいで鼻が詰まり、必然的に口呼吸になるので、寝ている間に喉が腫れるとのことで声もガラガラであった。
彼はとてもツラそうなのに、とても一生懸命接客してくれたので、予定になかったトレンチコートまで購入してしまった。
もし狙ってやっているとしたら、彼はスーパー販売員である。
彼の話を聞いたところ、この症状は毎年二月に発症しゴールデンウィーク前には終わるという。
毎年約二ヶ月間、息をするのにも苦労するというのは聞くだけでも地獄のようだが、私はアレルギーによりもっとツラい目にあった人物を二人知っている。
一人目は老舗蕎麦屋の亭主である。
彼は代々続く蕎麦屋の四代目であった。
私はむかし八百屋でバイトをしていた事があり、その八百屋の近くに件の蕎麦屋があった。
その蕎麦屋は地元では結構有名で、名物のかき揚げ蕎麦は絶品であった。
八百屋の朝は早く、夜中の二時には出勤するのだが、その蕎麦屋は夜中三時まで営業しているので私は出勤前によく利用した。
店内はアフターのホステスと客でいつも賑わっており大変繁盛していた。
ある日、私はいつものように蕎麦屋に入り、かき揚げ蕎麦を注文した。
しかし、かき揚げ蕎麦はやってないと亭主が言った。
というより蕎麦はやってないと言った。
話によると、この店の五代目候補、つまり亭主の息子が蕎麦アレルギーになったらしい。
蕎麦アレルギーは、アレルギーの中でも結構強力で、最悪の場合死に至るそうだ。
その為、息子の将来を考えた四代目の心優しき蕎麦屋の亭主は、うどん屋の初代亭主とあいなった。
客としては、優しさの入ったかき揚げうどんは、蕎麦より数倍美味いので大変満足だが、当人からするとのれんを繋げぬことは誠に痛恨事であろうと思う。
もう一人の被害者は、私の友人である。
秋田県の米農家の跡取りとして産まれた彼は、白神山地の如く大きな体格に恵まれていた。
子供の頃からサッカー少年であった彼は、東北の怪物との二つ名を欲しいままにし、小学生の頃から高校の時まで全国大会に出場するなど常にチームのエースとして活躍した。
その後彼はプロを目指し東京のサッカー名門大学に進学するのだが、ここには各地の怪物が集まっており、後にプロ選手となるチームメイト達に挟まれ、彼は控えに甘んじる。
それでもプロを目指す彼は、大学卒業後に実業団チームへ入団し、たゆまぬ努力の末に、さぁ来年こそはプロ入りというところまで漕ぎ着けた。
しかしその年、靭帯分裂の大怪我を負い、プロへの道が完全に断たれた。
失意の彼は秋田に帰り米農家を継ぐことを決意する。
それまでの生活で、常に結果を求められるプレッシャーと戦っていた彼であったが、元来の性格がとても優しいやつなので、農家はとても向いていた。
二年間農家として過ごしている彼はとてもイキイキしていた。
しかし、二年後の収穫時期、彼は突然稲アレルギーを発症した。
しかも米は秋田の名産であるので、他の農作物への転換が難しいらしい。
稲アレルギーは目にくるらしく、彼は泣きながら米を作るハメになってしまった。
対処法としてピーク時には水中眼鏡を着用すると涙が出ないらしい。
なんともかわいそうな話であるが、彼の作る米はとても美味しいので、今後も日本の米文化に貢献していって欲しいと思う。
さて、ここまで色々なアレルギーの話をした。
皆それぞれの苦しみがあり、対処法をお持ちである。
翻って私はというと、食物や花粉などのアレルギーは全く無い。
私の人生は常にオフェンスの一択で、ディフェンスの事はてんで頭に無い。
まるで、今は亡き近鉄いてまえ打線のような人生である。
前述の通りアレルギーとはいわば免疫力の過剰防衛なので、このような人生を送っていると体までディフェンスをおろそかにするらしく、過剰防衛などもってのほかのようだ。
しかし、体に対する食物や花粉のアレルギーが無くても、私には恐ろしく強力なアレルギーが潜んでいる。
人間アレルギーというやつである。
物凄く人の好き嫌いが激しいのだ。
私は一見してお調子者の八方美人に見えるが、実は違う。
お調子者であることには間違いないが、少なくとも8人中2人位の人にはアレルギーを発症するのでいわば六方美人二方ブスである。
このアレルギーは大変厄介で、最近は特に症状が酷くなってきた気がする。
昔は、多少なりともの付き合いの後に発症していたが、最近では対峙した瞬間から発症する。
具体的な症状としては、何かの拍子に『この人嫌い!』と認識してしまうと、まず背中がぞわぞわする。
このぞわぞわが来ると、相手に全く興味が無くなり、話しかけられたりする事が物凄く億劫になる。
困った事にこの状態になると、同じ空間にいるだけで、時間と比例してどんどん嫌いになっていく。
なんと身勝手なアレルギーであろう。
まるでどこぞのエリカ様のような高慢さである。
が、かかってしまったものは仕方がない。
しかも、人知れずこのアレルギーにかかって苦しんでいる『隠れ人間アレルギー患者』が少なくないことを私は知っている。
今回は、今更うどん屋に転職する訳にも、水中眼鏡をかけて生活する訳にもいかない方の為に、私が編み出したとっておきの対処法をお教えしよう。
これはとても効く。
まずアレルギーの一番の対処法はアレルギー源に近づかないことである。
ヤバイと思ったらまず気配を消す。
そのままひっそり姿を消す。
その後、遠目で状況を見ながら、対象がいなくなった瞬間に何食わぬ顔で元に戻る。
これを徹底するだけで、かなり被害は軽減される。
しかし、この方法は対象が初対面、或いは余り付き合いをしなくて済む人に限られる。
対象が会社の上司、取引先の担当者など頻繁に顔を合わせる場合には非現実的であるので、次の方法を試して欲しい。
やり方は至って簡単。
まず用意して欲しいものは休日を一日。
嫌いなヤツの為に大切な休日を潰すのは誠に遺憾であろうが、その後の生活の為にグッと堪えて欲しい。
そしてその休日をフルに使い、嫌いな相手がプレゼントされて一番喜ぶであろうものを街中で探し回る。
真剣に探し回る。
口で言うのは簡単だが、やってみるとこれが案外難しい。
喜ぶものを探すということは、当然相手の事を知らなければならない。
ましてや一番喜ぶものとなれば、相手のほぼ全てを理解しなければならない。
例えば対象が北海道出身なら、まず『白い恋人』とかどうだろう、などと考える。
すると、けどあの人甘い物苦手だったなーとか考えだす。
で、その内そもそもあの人北海道人なのに凄く寒がりだな。なんでだ?とか考え始め、ホッカイロ売り場やダウンジャケットの売り場をさまよい歩いたりする事になる。
そんな事を一日中繰り返し、最後に一番喜ぶ物を見つける頃には、相手が考えていることや嫌いな事、家族構成や生活習慣など、あらゆることが理解出来る様になっている。
人が人を嫌いになる理由などたった一つしか無い。
価値観の相違である。
全く違う価値観を持つ人と長く付き合いをするのはつらいものがある。
しかし、相手がどういう経緯でその価値観に至ったかを理解することで、許せる範囲はグッと広がる。
更にこの対処法は、一日中相手の為に行動しているので、知らぬ間に奉仕している気分になる。
理解と奉仕。
お互いにこれが出来れば、人と人との間にわだかまりなど出来ようが無いはずである。
一度試される価値はあると思う。
最後にこの対処法の注意点を一つ。
プレゼントは探すだけで、本当に買ってはいけない。
家に帰り財布からお金が減っていると、ものすげぇ腹が立ち余計に嫌いになるかも知らんので。
そんな、相互理解の話。