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森猛 伊亮

森猛 伊亮
中学校卒業後、不動産屋や大工、果ては証券屋やボーイなど様々な経験をつみながら、デンジャラスかつクレイジーな生活を経て、2013年より独立。

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ナビの話

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【この記事は約7分で読めます・約2900字】




私はお地蔵様に似ている。

 

但し、本物の石のお地蔵様ではなく、観光地などでよく見かけるキャラクター化されたお地蔵様である。


デザインによって多少の違いはあるが、だいたいはニコニコ笑っていて顔が丸い。


キーホルダーやステッカーなどになっているものを想像して欲しい。

それがほぼ私の顔である。




二十代前半までは大変人相が悪く、連続窃盗集団の下っ端の様な顔をしていた。


この頃の私は、勿論窃盗犯ではなかったが、折しもの好景気で調子に乗って色々な人を泣かせており、好き放題に生きていた。

 

そもそもリーマンショック直前のプチバブル時代、不動産屋に勤めていた当時の私は、80年代〜90年代に起きた、信じられない程華やかな本物のバブル時代の話を、周りのジジイ達から嫌と言う程聞かされており、まさか今が好景気という認識は全くしていなかった。

 

その為、貯金通帳の数字が膨れていく度に、自分は仕事の天才だと思い込み、物凄く調子に乗ってこの世の春を満喫していた。


この様な阿呆に金を持たせると良いことがあるはずも無く、誠に好き放題、我儘放題となり色々な人々を泣かせまくった。

 

その後めでたくリーマンショックが訪れ、身から錆びが止めどなく溢れ出した私は、人生の暗黒期に突入する。

 

この暗黒期は、とあるジジイに出会うまで結構な時間続く事になるのだが、詳しく話すと長くなるので又別の機会に。

 

とにかくこの時期は何をやっても上手くいか無かった。


腹が減った、身が寒いは、我慢すれば何の問題も無いのだが、欠きたくも無い義理を沢山欠くのはとても辛かった。


辛すぎて、笑っていないと泣き出しそうだったので、この頃から意味もなく笑っていることが増え、知らん間に笑い顔が地顔になった。

 

元々顔が丸く、タレ目であるので笑い顔が地顔になると、それは見事なお地蔵様が完成した。




この地蔵顔は大変ありがたい。

 

第一に、私の仕事は物を販売する事なのだが、地蔵顔はお客様に全く警戒心を持たれない。


その上大人しそうに見えるようで、初めて商談に行く際には、だいたいが銀行員か郵便局員に間違えられる。

 

そして最大の恩恵は、多少の失敗が許される。

取引き先やお客様に多少の粗相があっても、お地蔵様に怒る気にならないのか、大抵の場合は笑って許される。


本来こういう場合は、いくら許して頂いても反省しないといけないのだが、こちらも笑ってご好意に甘える。

 

だがこの地蔵顔、多少厄介な面もある。

 

お地蔵様とは、お釈迦様の代わりに迷える人々を救ってくれる、大変有り難い存在であるらしい。

立派なお役目である。

 

しかしお地蔵様は人生に迷える人々を救う事は出来ても、まさか喋る事は出来ないので、道に迷った人は救えない。


一方私は、常に人生の迷子だが、地蔵顔に加えて喋る事が出来るのでよく道を聞かれる。

めちゃくちゃよく聞かれる。

 

道だけではなく、百貨店などであの売場はどこにあるかとか、動物園でキリンの居場所を聞かれた事もある。


少なくとも三日に一度は何かしらを聞かれ、最高記録は一日に六度道案内をした。

 

実は私は、お地蔵様でも地元警察でもなんでも無いので、殆どの場合においては道を知らない。


ましてやキリンの居場所など知るはずは無いのだが、根がお節介おじさんなので、どんなに急いでいても一緒に探すか必死に調べる。

 

特に最近では外国人観光客が増えてきており、彼達に道を聞かれると、言葉も通じない心細い異国の地で迷子になり、楽しいはずの旅の思い出が台無しになるんじゃないか。


などと妙な使命感に駆られ、中学生時代英語の授業中、ずっとお昼寝をしていた私は、全世界の人を全力の関西弁で案内する。




数年前、こんな事があった。

 

当時私は大阪で、とある会社の営業マンをしていた。

その日は大事な商談があったのだが、先方の都合で急遽予定が無くなった。


三時間程の商談を予定していたので突然時間が空き、一旦帰社しようと思ったが、会社を出る時に上司の機嫌がすこぶる悪かったことを思い出し、私は当然サボることにした。

 

夕方近くであったので小腹が減ったのだが、ちょうどこの頃は暗黒期から抜け出そうともがき苦しんでいた時期であり、おいそれと喫茶店に入るのもためらう位ビックリするほど金が無かった私は、正義の味方100円マックに救いを求めて歩き出した。




その道中、背の高い白人男性に声をかけられた。

どうやら彼はホテルに行きたい様だ。

 

そのホテルは大阪のど真ん中にあるのだが、とてもわかりにくい場所にある。

声をかけられた場所から歩いて15分程の所にあり、中々説明しにくい。

 

しかも、どうやら彼はロシア人の様だ。

 

英語どころか国語の授業中もお昼寝をしていた私に、ロシア語などわかるはずもないので、一緒に歩いて行く事にしたが、タイミングが最悪であった。




折しもこの前夜、私は世界大戦時のロシア人兄妹を題材にした小説を読み号泣していた。


この小説の中に、戦時中食べ物がなく、ターニャという妹を生かす為に腹を空かせたまま死んでいった寡黙な兄さんがいた。

 

私はその兄さんを思い出し、彼は腹が減っているので何か食わせないといけない。

と、訳のわからん使命感に駆られた。

 

多分この日の私は、ロシア人であれば誰にでも腹一杯好きな物を食わせていた。

 

何か食わせようと、歩く道中で色々話しかけるが、彼は日本語を理解出来ない。


しかし、全然寡黙では無く、ものすげぇ陽気なロシア人である彼は、スマホを取り出し翻訳機とした。


スマホを挟んでロシア語と関西弁で意思の疎通をすると、全然寡黙ではないが腹は少し減っているらしく、時間もあると言う事なので私は彼を団子屋に誘った。

 

席に着き適当に注文をすると、私は陽気なロシア人とスマホ越しに色々な話をした。

 

全然違う文化の人と話すのはとても楽しくて、彼は楽器演奏者で日本には演奏しにきたこと、ターニャどころか一人っ子であることなどを話し、私は簡単な日本語を教えたり、旨いお好み焼き屋を紹介したりして、短い時間ではあったが大変盛り上がった。

 

話をしている内に、彼は三本食べた団子の内、みたらし団子が大変気に入ったらしく、それを三本追加した。

 

彼は大変嬉しそうだったが、金の無い私は大変可哀相であった。

 

まさか見ず知らずの異国人を誘っておいて、割り勘にする程の勇気が私には無かった。


更に、あまりにも美味い美味いと食うので、私はヤケクソで土産にみたらし団子を十本包んでもらい、店を出た時に彼に渡すと彼はとても喜んだ。


よっぽど嬉しかったらしく、店を出てからホテルに着くまでさっき覚えた『アリガトウ』をずーっと連発していた。




その後、私は給料日までチキンラーメン生活が続く事になった。

 

しかし、私が帰り際に『北方領土返せよー』と言うと、彼は親指をグッと立てて、『ダー』と力強く答えてくれた。


多分返してくれるのでチャラであろう。

 

私は中国で迷子になった事があり、その時の心細さは半端では無かった。


私はお地蔵様では無いので世に迷う人々を救う事は出来ないが、色々な人を泣かせた分、せめて道くらいは教えてあげられる優しい人になりたいと思う。

 

安倍総理。

今度プーチンと会う時は、是非みたらし団子を手土産に。

 

そんな外交の話。