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森猛 伊亮

森猛 伊亮
中学校卒業後、不動産屋や大工、果ては証券屋やボーイなど様々な経験をつみながら、デンジャラスかつクレイジーな生活を経て、2013年より独立。

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鬼の話

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植物・動物に関わらず命あるものは、総じて長い年月をかけて進化していく。

 

と、先程NHKが言っていた。

曰く、劣等種や突然変異は自然淘汰されていくらしい。


平たく言うと、ろくでなしや変なやつは進化の邪魔という事らしい。

NHKは常に正しいので間違いないと思う。

 

私は大変なろくでなしであり、変なやつなので、おそらく神様辺りがこんなやつの子孫を残すと大変な事になると判断したらしく、現在の医学では子宝に恵まれる事はほぼ無い。

 

私の考え得る限り、最高の遺伝子を受け継ぎ、一生懸命、至極まっとうに生きてきたのに、変なろくでなしに拝み倒されて妻となってしまった事で、シーズー犬の母になるハメとなった家内には、大変申し訳なく思うが、巻込事故にあったと思ってどうか勘弁して頂きたい。




かく言う訳で、人の親になった事は無いが、シーズーの父であり、中々バイオレンスな親を持つ子供であった経験はあるので、この度起った鬼の所業について論じる資格はあると思う。

 

何の話かというと、最近は少し減ってきたが二月中は連日連夜報道されていたので、殆どの方がご存知であろう千葉県野田市で起きた僅か10歳の栗原心愛(みあ)ちゃん虐待死事件の話である。 


もしもご存知ない方は、この様な事件は知っただけでも相当に不快で、随分と怒りが込上げるので以下の稿は読まれない方がよい。




手元にある報道各社の記事を繋ぎ合わせると、次の様な経緯になる。

 

2008年心愛ちゃんの両親が沖縄で結婚。

翌年の2009年に心愛ちゃんが産まれた直後に母の実家がある沖縄県糸満市に転入。

2年後の2011年に離婚。


2017年心愛ちゃんの妹が産まれた前後に再婚し父の生家に近い千葉県へ移住する。

その後すぐに学校のアンケートにて父からの虐待が発覚し心愛ちゃんは施設に保護される。


2018年3月保護が解除となるも、その後も虐待は続く。


8月からは親戚の家に移り住むが、年末に自宅に戻り、2019年1月24日遺体で発見された。

遺体からは肺に至るまでの大量の水が検出され、胃の内容物は殆ど無かった。

 

上記の経緯が事実であるなら、父による暴力は少なくとも一年以上に及び、満足に腹も満たされることなく、肺に溜まる程の水を飲まされ心愛ちゃんは死んだ。

 

こういう事は人間には到底出来る事では無いので、正に鬼の所業と言えよう。




実は私も心愛ちゃんと同じ運命を辿る可能性が少しだけあった。

 

私の母は、私が四歳の時に離婚し私と妹を引き取った。

離婚の原因は父の不倫であった。

 

父を失った淋しさからなのか、将来の不安からであるのか、はたまた全く別の理由なのか、私は母と二十年程絶縁状態であるので、その内心を今更知る由もないが、今考えると母の生活は普通ではなかったと思う。

 

私は中学二年生の時に家を出たのだが、四歳からそれまでの約十年の間に少なくとも父が三人いた。


それ以外にも多数お付き合いをしているという男性に会わされたが、複数人同時進行ということも少なくなかった。

 

母は大変ヒステリックな人であり、この男性達と喧嘩をしたりすると結構始末に負えなかった。


最初の方は激高したときに大声を出す位であったが、徐々にエスカレートしていき、リモコンや食器等小さな物を投げたりした。


更に酷くなってくると、洗面台の鏡を椅子で叩き割ったりし始め、その度に家の中は無茶苦茶になった。

 

対象が物から人へ変わるのにそんなに時間はかからなかったと記憶する。

 

父、もしくは付き合いをしている男性達を殴る蹴るは日常茶飯事であり、素手のうちはまだしもバットやゴルフクラブで暴力を振るうことも度々あった。


危ないので男性達が止めようと、腕を掴んだりすると、逆に暴力を振るわれたと騒ぎ立てたりする。


近所の人の通報で、警察官が来る事もしばしばであった。

 

そして母はヒステリーが収まると、決まって『怖がらせてごめん』『やりすぎてごめん』などと毎回詫びる。


泣いて詫びる事も珍しく無かった。

 

そういった事が起こる度に妹は怯えて泣いていた。

妹の泣き顔は鮮明に覚えている。


自身の恐怖の感情もしっかり記憶しているのだが、自分の行動については何故かさっぱり記憶から抜け落ちている。




尚、誠に意外ではあるが普段の母は優しい人であったと思う。


人並みに誕生日のお祝いをしたり、洋服などを買い与えられたりした記憶もあるし、母は親戚などからもとても慕われていた。

 

そんな母の暴力が、私に向き始めたのは小学二年生の時である。

きっかけは、慎ちゃんという男性であった。

もちろん仮名である。

 

慎ちゃんは私の二人目の父であり、大変優しい人であった。


私は慎ちゃんによくなついた。

 

ある日、いつもの様に母がヒステリーをおこし暴れ始めた。


何があったかは知らないが、その日はとりわけ酷く、家中の物を投げて、遂には慎ちゃんをバットで殴った。


女の力であるので大事には至らなかったが、止めるとまた騒ぎ始めるので、慎ちゃんは玄関より走って逃げた。

 

ひどい暴れようであったので、隣の家のおばさんが警察に連絡したらしく、すぐに警察官が来た。


母が警察官に事情を説明しているのをこっそりと聞いていた私は、かなりの衝撃を受けた。

 

母は、自分が慎ちゃんから暴力を受け、その際腕にアザが出来たと、全く真逆の説明をしたのである。

 

警察官が帰った後、私は母に抗議した。

初めての反抗であったと思う。


慎ちゃんへの親しみからか、正義感なのか今となってはわからないが、私は警察官に嘘をついた母がどうしても許せなかった。


多分母を睨みつけていたと思う。


子供には関係無いと怒鳴られたが、私は食い下がった。


その後、ボコボコに殴られた。




この日を境に事あるごとに殴られた。


初めのうちは素手であったが、殴る手が痛いということで〝しばき棒″というものが作られ、これで殴られた。


しばき棒はとても痛いが、アザが出来る位なので、そこまで大事にならなかったのだが、ある日スプレー缶で殴られ続け、頭からかなりの出血をした。


すぐに病院に行き、手術となった。

手術が終わる頃、親戚が集まっていた。

 

母は親戚の前で『躾のつもりがやりすぎた、ごめんね伊亮』と号泣した。


私は期待した。


私は家族という形を守りたかった。

母と妹と慎ちゃんと幸せになりたかった。

 

その為、出来るだけ無抵抗で殴られた。


母のストレスが妹や慎ちゃんにいかないようにと殴られた。 


時には大げさに痛がることもあった。


その仕草に腹を立てて更に殴られる事はわかっていたが、殴られる事は痛い事だと母に知って欲しかった。


そしてこの時まで、決して他人に折檻の事実を伝える事が無かったのも、家族がバラバラになってしまうと思い込んでいたからである。

 

しかしこの頃私は、自分の力だけではどうにもならんという事を気づき始めていたので、これからは親戚の介入で事態は好転し始めると思い、とても嬉しかった。 




だが事態は何も変わらず、むしろ悪化した。


その後慎ちゃんが出ていった事もあり、バカらしくなった私は幸せな家庭なるものを諦め、出来るだけ自分に被害がこない様努める事にした。

 

この様な経験の記憶は、この度の事件が起こるまでさっぱり忘れていた。


というよりも、その後好き放題に生き、現在三十三歳になった私は家族や仕事に恵まれて誠に幸せな生活を送っているので思い出す理由も無かった。

 

しかし、心愛ちゃんには三十三歳という年齢は永遠にやってこないし、幸せな生活を送る事もない。




大変不条理である。

不条理の原因はなんであろうか。

 

この度の事件では、報道各社が盛んに行政機関の不手際を報じた。


保護した後に父親の元へ返した事、父親に暴力を振るわれていると心愛ちゃんが書いた紙を父親本人に渡してしまった事。


勿論こういった事が無ければ無事だった可能性はあるが、その時無事であっても根本的な解決が無ければ、遅かれ早かれこういう結末が待っていた可能性の方が高いと思う。

 

職員の皆さんは必死で心愛ちゃんを守ろうとしたと思う。


こんなにも大変な仕事についている人は、それだけでも相当な覚悟を持った人達である。

職員の皆さんの無念は察して有り余る。

 

しかし、根本的に解決の方法が間違っていた。

そして、多分心愛ちゃんはその事に気付いていた。


でなければ、心愛ちゃんが死んでしまった理屈は成り立たない。

 

保護する対象は心愛ちゃんでは無く、父親であった。


これは間違いない。


いずれかの段階で粘り強く父を説得し、カウンセリング等を受けさせるべきであった。

 

2017年虐待の事実を把握したとき、児童相談所はいち早く心愛ちゃんを保護したという。


しかしその後、保護が解除された後に行われた面談では、心愛ちゃんは両親や妹と暮らしたいと言った。

 

本心であろう。


当時9歳の彼女は、カウンセリングや更生などの単語は知らなかったであろうが、母や妹、更には父を守るために必死に戦おうとした。

 

一方で、2018年の夏休みから親族の家行き、そこで年末まで暮らした後、命を落とす直前に自宅に戻るとなった際には、両親・親族の前で帰りたくないと泣きながらに訴えた。

 

自分一人の力では何ともならないと悟った彼女は、他人の力を借りようとしたと同時に、勇気を振り絞って暴力はつらい事だと父に訴えた。

 

その訴えは、鬼には届く事なく彼女は死んでしまった。

 

私が生き、彼女が死んでしまった理由は男女の違いや、周りの環境のせいであるかもしれない。

 

だが一番の理由は、私には無かった戦い抜く勇気を彼女が持ち合わせていた事だと思う。


その勇気を受け止める事が出来なかった、幼い子供よりも未熟な父は、鬼となった。

 

法律的にも実務的にも、大変難しいと事だとは理解する。


しかし10歳の心愛ちゃんは命を賭けて戦った。

誰か一人。彼女の周りの誰か一人でも彼女と同じだけの勇気を持てれば、彼女は絶対に死なずに済んだ。

 

『心愛』と書いて『みあ』と読む。

その名の通り、鬼の心にも愛を灯そうとした彼女の勇気を私達は絶対に忘れてはいけない。

絶対に。





心愛ちゃん。

おじさんは悲しくて堪らない。

色んな事から逃げてきたおじさんが楽しく生きて、戦い抜いた君が死んでしまった。

本当に堪らない。

今更時間は巻き戻せないけど、一つお願いがある。

もし生まれ変わりがあるなら、おじさんとおばさんの間に生まれきて欲しい。

おばさんはとても優しくて賢い人だから、君を心から愛して、色んな事を教えてくれると思う。

おじさんはちょっと変な人だけど、決して、君を殴ったりはしない。

君より賢くはないから教えられる事は何も無いけど、頑張って休みとるから一緒にいっぱいオムライス食おうな。

 



そんな、勇気の話。